高齢の親が入院した時に子供にのしかかる心理的負担。

誰しも当たり前ですが年は取ります。

 

順調に齢を重ね

大過なく「高齢」を迎えた親御さんを

抱える家族に取りまして

「介護」は実に大変であります。

 

特に私の様に

実家から遠く離れている者に取っては。

 

いや、逆に近かったら

四六時中目にするのですから

もっと大変かも。

と、しみじみ思うのであります。

 

特に心理面で。

考えだすとキリがない程

不安材料はふんだんにあります。

 

私は恵まれている方だと考えています。

世の中には

同居で職を辞してまで

親の介護を余儀なくされている方も

沢山おいでで

その肉体的な苦労

その心理的な圧迫

誠に思いを致すだけで

胸が締め付けられるのであります。

 

先々月、母は施設への入所が叶い

一安心と思っていましたら

先月後半

熱を出し病院に入院。

 

何しろ高齢ですから

2〜3日抗生物質の投与をして

熱が下がらなかったら

即、病院送り。

いや、その施設も病院の経営ですが

いやはやなんとも

なんと表現して良いのか

結果だけ申し上げると

近隣の大きな病院へ移送します。

それはそれで正しい判断だと思います。

何しろすぐに肺炎やら合併症を起こし

重篤になるのですから。

多分当該施設の病院では手に余るのでしょう。

 

ところで

私にも生活があり

親不孝と言われようが

病院に日参出来ぬ事情があります。

 

が、高齢の母に取りまして

それが不満の様子。

 

看護師さんに

「子供は何故こないのか?

親が苦しんでいると言うのに」

等々、年寄りならではの我儘を

 

いえ

私の母らしい

若い頃からの自己中な我儘を

度々言うらしく

それを鵜呑みにした

病院の看護師さんから

非難がましい電話を貰った事もあります。

 

遠隔地に私がいる事をご存知なかった様子で

事情を知ると

それは申し訳なさそうに謝られます。

 

ところで

病院に入院する。

 

それには色々な手続きが必要であります。

特に「連絡がつく子供」がいた場合。

 

入院の承諾書

身元引受けの承諾書

諸々の支払いの承諾書

その上

高齢ですから

何かあった時には病院の判断で

治療をして良いか?

の承諾書。

 

それらに判子を突き署名しますと

どうなるか?

 

結論。

 

なんでもかんでも

ほとんど全ての掛かった費用の請求書が

子供の元に送られて来ます。

先月入院して月が変わった途端

来るわ来るわ(笑)

 

やっぱ我が国は

福祉国家ではどうも無い様子。

自分の懐に手を当てて

実感するのであります。

 

もし身元を引き受ける子供

惜しくは身寄りのない人はどうなるのか?

 

実際、施設に参りますと

いらっしゃるのですよ。

全然尋ねる人もいないお年寄りが。

ですから私は良く施設の人に言われます。

「本当に良く来て下さって感謝してます」

と、なんだか「変」ではありますが

施設ならではの苦労もあるのでしょう。

 

誰も来ない場合

全て施設の判断となり

行政も絡んで年金から

それに見合うだけの介護となります。

 

いや、現実には年金だけでは

到底足りません。

施設にかかる費用で綺麗に年金が消える。

そんな風にどうもなってる様子。

その上に、なんじゃかんじゃと

月に何万か施設に預けています。

 

それも身寄りがいない場合

どうなるんでしょうかね?

 

今度は

施設はそのままに

今度は病院がらみの請求書が続々と。

 

そろそろ準備を始めなければいけない事と

空き家になっている家の維持。

兄弟のいない一人っ子であることが

結構呪わしかったりします。

 

散々、幼少の頃から

自分の我儘で子供を振り回し

いい年になってからも

都合が悪くなり

自分たちでは処理できなくなった

そんな末期的な状況で

私に処理させる。

そんな事が続いた我が両親でした。

 

そりゃ他人様の目はともかく

子供にとって本当に愛おしい親ならともかく

我が親を見ていますと

例え私が好々爺となったとしても

子供にあらゆる負担を掛けてはいけない。

 

「惜しまれつつそこそこの年で

ポックリ逝くのが宜しい。」

 

との結論さえ出て来るのです。

 

その母が

先日病院で私に向かい

満面の笑みを湛え

「あんただけが私の希望」

と曰うた時、

正直

背筋に寒いものが走ったのは

内緒。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です