オカンの施設入所が決まった時、
全く時を同じくして
家内のオカンの入所も決まった。
電話で知らせを受けた時
「あら!」
と思わず声をあげた程、同時である。
あちらは当地と全く事情が違う。
まず希望者が圧倒的に違い
そら多い。
ゆえに、
順番待ちがこちらとは半端なく大違い。
あちらのオカンの面倒を見ていた義妹の
安堵はそら想像できぬ程であろう。
何しろここ数年でアルツハイマーの進行が
極端に早くなり
冗談ではなく
寝ていても安心できる時なんざぁ
ありはしなかった。
これまたあちらのケースワーカーさんが
こちらとは大違い。
グサグサと義妹の心を遠慮なく刺す
「あんた誰に言ってるの?」
と私なら言いそうな文言を義妹に
浴びせていたらしい。
曰く
「何年待っても無駄。」
「当分施設に空きが出るわけがない」
伝聞で聞いて
飛行機に飛び乗らせ様とする言葉の数々。
って言うのが
義妹は私が言うのも変だが
家内とは違い
誠に繊細で心根の優しい人である。
そして体も弱い。
その彼女がどれほど傷ついて
そして悲観していたのか。
その心中を察するに
胸にこみ上げて来るものがあった。
自分がわからなくなっている母親の
日常生活から何もかも世話をしていた、
その苦労を目の前で見ていただけに。
多分、
反論もしない人の良い義妹に向かって
そのケースワーカーは
言いたい放題だったのであろう。
持っている常識が全てに通用しない
この現実を実感する。
ところで、
比較するとえらい差がある。
まずこちらのオカンは、
そもそも施設に入れる介護度ではなかった。
それを本人が施設の希望を言い出してから
私からお願い。
ケースワーカーさんが各方面に根回しして
入所できるギリギリの介護度に上げてくれた。
いわば「出来レース」である。
あちらのオカンは
そもそもが入所基準の介護度であった。
それが近々、急激にまた上がった。
それは何もテストの結果だけの判断ではない。
実生活で、
これはとても家庭で看るのは無理と
思われるほどに進行していた。
いや現実に目の前にすると
冗談ではなく「引く」。
文字にするにはとても憚れる。
施設の入所についても極端な差があった。
あちらはもう数年待っていた状態。
何しろこのまま行ったら
義妹が倒れる状態が数年前からあったのだから。
それが真っ当に施設から
「お待たせしました」
とこれまた真っ当に連絡があったのだ。
そこにはケースワーカーは介在していない。
こちらはそうではなかった。
ケースワーカーさんが気を利かせて
施設側にこちらの意向を
タップリと染み込ませてくれていた。
そして施設側もその意を汲んで
タップリと裏技を使ってくれた。
これまた「出来レース」っぽい。
そしてほんの
本当にほんの数カ月の「待ち」で
入所。
この差はなんだろう。
世界は違うが
当地で
同じ様な感覚を2度している気がする。
それは2年前の震災後の事である。
知人友人、また関係各所は
それぞれ同じ震災にあっても
その後が全く違った。
一方は家も失い
職も失い
また会社も消滅させざるを得ない方もいた。
そして行政の援護も知らぬうちに
通り過ぎてもらい損ね
いまだに仮設。
もしくは遠方の親戚を頼り
彼方で住まいから仕事まで出直しの方も。
かたや行政の支援を撃ち漏らしなくもらい
「え、そんなものまであったの?」
と聞き返したくなる制度まで活用し
そして
「がんばろう」
の掛け声をうまく利用し
商売超繁盛。
なんだかこれを思い出させる。
何事も抜け道はあるのだろう。
もしくは、要領よくやる方法も。
そして鼻のきく方が
一見羨ましくも思える。
しかし
「上手く、くぐってきたつもりが。」
と後々悔やむのではないかとあらぬ心配をする
マジで小心な私であることよ。
いや今回の入所に関してだけはね。
日頃は世間様から虐げられていますのよ。