「英雄の登場を望んだ時、既にその国は老人なのだ」を考える。

毎週日曜の朝はNHKの日曜討論。

 

各界のそらスペシャリストが

民放にはない司会の仕切りの元

各々意見を述べる。

 

政治であったり経済であったり。

毎週テーマは違いますが。

最近それ観てて何か違和感を覚える。

 

なんなのか?

どうにも閉塞感が香ばしい

意見が多い気がします。

 

どのテーマを観ても

出て来るワードは

 

トランプ、習、プーチン

とか

アベノミクス。

 

確かに旬ではありますが

これほどまでに個人名が出て来る時代も

最近では珍しい。

 

まるで個人が世界を牽引している様。

実際そうなんでしょうけどね。

 

でもね

感じるのよ。

この先が見えない

いや先を能天気に明るいものとして観ている

大金持ちは別として

我々2極の下層に位置された者にとって

本当に世界のこれからは先が見えない。

 

凄まじいばかりの技術革新。

それは否応なく我々の生活に入り込み

それがどんな生活を我々に強いるのか。

本当に数年先が怖いのが現状。

 

そこでアメリカを例に取るなら

 

アメリカファーストを掲げ

一定の国民の熱狂的な支持を受けた彼。

東部のエスタブリッシュメントの予想を

見事に裏切り

ブッチギリの勝利を収めたのですよ。

 

それでね

わたしゃそこに現状を

思いっきり変えてくれるヒーローを熱望する

国民の切実な思いを感じるのよ。

 

彼の国でそうなのだから

他の国ではもっとでしょ。

多分。

 

その傾向は形こそ違え

どの国でもあるのよね。

この日本でも。

 

アメリカが風邪ひきゃ日本は肺炎ですから

これ何も向こう岸の話ではない。

 

まだまだ進む二極化。

それを意識しなくとも

肌で感じている各国民。

これをなんとか

スカッとした青空にしてくれる。

そんな人物の登場を言わないまでも

誰しも持っていると思います。

 

そら、安心して老後を過ごしたいし

生活費の心配なく過ごせる日々を

誰しも望みますものね。

 

ついでに「夢」も見たい。

 

でもね

どこで聞いたか忘れましたが

 

「英雄の登場を望む国は

望んだ時、既に老人なのだ。」

 

と誰かが書いてました。

 

歴史は繰り返す。

何年かに一度はご破算にして

もう一回再生して行く。

その過程においては

みなさん顔が上向いてる印象があります。

 

我が国でも

焦土から必死にもがき

夢見ながらここまで来たのですから。

 

それがこの方起きてませんよね。

日本も含め世界も。

やがて一世紀前になろうとする

欧州の悪夢に思いは至るのですよ。

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