「普通の生活」について考える。

「私の生活は普通だから」

 

とは他人様と話していて

よく耳にする言葉である。

卑下と凡庸で在りたい願望を込めて。

 

しかしだよ

何を持って「普通」と言うのか?

その概念は様々である。

 

思うに

人間の数だけ「悩み」はあると思う。

 

それを含みながら

あえて「普通」と表現する。

人間は「いじらしい」のである。

 

例えば「子供」。

その成長過程において

これまた様々な問題に直面する。

 

話が子供のこととなると

悩まぬ親はいないと思う。

良かれと思い

また社会規範から

また他の子供と比較して。

 

他人の子供と比較するなど

「以ての外」

と私は思うのだが

意外や多数派である。

 

例えば私の子供時代は

「親の目を盗み」

が大半を占めていた気がする。

それが男の子であると。

 

しかし親は気がつかないのであるから

「うちの子はだけは」

と、とんだ勘違いをする。

 

私のガキは中学から親元を離れ

たまにしか会わない。

母親は何も感じていないのであろうが

私も昔「男の子」であったから

我が子が何事もなく「素直」とは

到底思っていない。

知らない、

見えないだけである。

 

思春期の

ある日の夜

いきなり警察から電話。

で慌てふためいて駆けつける。

「おまぇ〜!」

とビンタの一つも

で警官に諌められる。

そんな経験を持った友人も多数いる。

 

その家庭においては

大問題である。

多分その夜は眠ることもままならず

夫婦で話し合い。

 

何度か経験するうちに

「慣れた」

とこれまたトンデモナイ発言となる。

これでも立派に「普通」である。

よそ様に向かっては。

 

悩みを抱えながら。

で、よそ様を羨ましく思う。

よそ様が「普通」に見えるのである。

 

何事においてもそうである。

月給が少ないのも。

夫婦仲が悪いのも。

自分の老後が心配でも。

それぞれにひたすら己の欠点欠落を隠しつつ

「普通」を装いたいのである。

 

「隣の芝生」は本当にある。

 

昔、

「一億総中流化」

そんな言葉があった。

 

国民皆自分は「中流」であると

信じていたのである。

実にまやかしであった。

 

結果は現在を見れば明らかであろう。

極端な二極化。

単にそれが顕現化するまで

時間を要しただけである。

 

学力も同様である。

中学レベルの計算ができない大学生。

どうやって高校を卒業できたのか

実に不可解である。

将来の「普通」は間違いなく

約束されない。

 

これからは

自信喪失の時代に突入する。

 

取り繕われた「普通」の

崩壊が目の前に迫っている。

皆、自覚と畏怖で慄いているのである。

 

で、

なんとか「普通」に留まるべく

二極化分類された下層はもがく。

しかし

悲しい哉

「術」を持たぬ。

 

考えることもなく

持論を持つこともなく

踊らされ踊った

「普通」から

「豊か」への幻想。

 

そのツケが今回って来ているのである。

 

 

どうやってそのツケを払うのか

実に悩むのである。

私は。

 

「哲学」

とは程遠い

この場合

「考える」ことなく

お気楽に太平を決め込み

「明日は違う日」

「私は他とは違う」

との仄かな期待を

いや幻想を持ち続けて

問題を先送りにして来た私は

今「解」を

求められているのであるよ。

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