昔は大店の本屋さんで眺めることが
一つの楽しみだった書物。
「本」
ですな。
今はAmazonでポチっ。
実際手に取れるか否かの差はあるものの
液晶を通して眺めるのも
まぁ楽しいものではあります。
昔は家に「なんちゃら全集」とか
錚々たる全集が百科事典と共に
並んでいたのでありまして
「誰が読むんかいな?」
とガキの頃は不思議に思っていたのですが
自然と頭の悪い私の様なガキでも
いつの間にか読了しているのであります。
で、一般常識として
読んでおかなければいけない超有名作家さんは
「経験」として一応「読んだ」ことにしてしまう。
それから成長盛りのオツムとしては
自身の興味ある分野で
書店の棚を眺め回し
自ずと思考方法が固まっていく。
それが「井の中」であろうとも。
で、年とともに活字を見ると
自然と目で追ってしまう習性が
身につくのであります。
そんな経験から。
畑違いの方がお書きになったもので
面白いものがたくさんあることに気がつきます。
その中のお一人、藤原正彦さん。
本業は数学者です。
〇〇学者と言うと
それから想像するに
関連書と思いがちであるが
そうではない。
沢山のエッセイをお書きになってらっしゃる。
経験から引き出されたエッセイは随分面白い。
先生を知ったのは
「若き数学者のアメリカ」
でした。
随分大昔の話。
それから度々目にする様になりました。
とある東京への移動中
座席の前に挟んである
その航空会社が作った月刊誌。
暇にあかせてパラパラとめくっていると
ある記事が目に止まった。
「湯たんぽ」
の話でありました。
西洋でも湯たんぽは存在するのであり
昔のそれは陶器のものであるそうな。
その絵柄、形
それにまつわる話を主観を含め
大層面白く読ませていただいた。
「この書き方は誰だろう?」
文責を見れば
藤原先生でした。
「なんか聞いたことあるなぁ」
でその場は済ませたのだが
後で調べてみると
「あ やっぱり」
その少しの感動は
自分の感性を確かめたから。
読み手の心理に作用させる見事な技。
まぁ意識して書いてらっしゃるのではないことは当然なのですが
「文系」とは一見無縁な「理系」の方が
書かれた本、エッセイが大変面白い。
その様な例は
枚挙にいとまがないのでありまして
目を釣り上げて体系的に勉強せねばならない
書物の類とは違い
自然と視野が広がるのであります。
読書は生きていく上で邪魔にはならない。
これは一般論ですが
本を読みすぎて
結末が悲惨だった人の人生は
まだ聞いたことがありません。
逆に言えば
読書をしない人生は勿体ないのでありますよ。
ただし
HowTo本とか
根拠のない「意識を高める」
その類の書物は読んだ内に入らない。
そんな本に限って文字がデカイんだよなぁ。
ファーストインプレッションが
損した気分にマジなります。
小学校の教科書じゃないんだから
ちゃんと詰めて校正しろよ。
思うに
やっぱり書物の醍醐味は
ジャンルによって違いはしますが
まず文学書にあっては
文体の美しさね。
普通に目にする文章としては
語彙であり
その適切な言い回し
そして何より大事なのは
「後味の良さ」
なのでありますよ。
もちろん一般論で言う
「悲劇」
はそれには当たりませんが
それはそれで深く考えさせられ
己の「糧」となることは
言うまでもありません。
残りのページ数が少なくなった事が
惜しまれる。
そんな本との出会い。
読書の醍醐味ですな。
読書三昧の深まる秋、人生をと
願う気持ちを
慈しみたいと思うわけよ。