銃規制。テレビ番組から考える。

土曜日NHKの朝の番組「深読み」を見ました。

内容はアメリカの銃の問題について。

 

過日発生した事件を通じ

彼の国に潜む危険性の現状を

センセーショナルに伝え

それについてゲストの皆様が意見を述べられた。

 

大方

「エ〜〜!」

とか

「そりゃおかしい」

でしたけど。

 

そら、あんな凄惨な事件が起きたのですから

その原因、背景を探りたくなるのもわかります。

あってはならない事。

それは間違いない。

 

でもそれは彼の国の国民の意識に

全て帰結する事柄なのです。

 

彼の国では州によっても違いはありますが

概ね個人で銃を持つことは「権利」として

保証されています。

一見「とんでもなく」思えますが

 

それは我が国がトンデモナイから。

 

こう書くと

「こいつバカじゃね?」

と思われるかも知れません。

 

でもねアメリカの建国は1776年。

当時の日本はどうだったでしょうか?

まだ「武士」が闊歩しており

その腰には二本の長い刀を差していたのよ。

 

当時、まだ我が国では

「飛び道具」は普及しておらず

一般的な武器としては刀。

それが町中に氾濫していたのですよ。

「切り捨て御免」

の制度もありましたし。

武器が日常的にあった現実は

我が国の歴史の中では長かったのです。

 

あまり知られていませんけど

我が国が「武装解除」された事は

概ね3度。

 

有名どころでは

太閤秀吉さんの「刀狩り」。

それから明治維新の「帯刀令」。

そして今選挙期間中ですから

各党の皆さんが連呼する「憲法」を作った

GJQによる軍の武装解除

並びに各人が所有する刀の拠出命令。

 

この最後の命令が効いたのですね。

それ以来、町で物騒なものを見ることがなくなった。

年月を経てそれが当たり前になっちゃった。

 

ところが彼の国はどうか?

あっちは元々「飛び道具」で雌雄を決する、

また自分を守らねばならぬ歴史が長かった。

それに「負けた」ことありませんから

外部の要因でそれを曲げられることもなかった。

当然それは「権利」として残っちゃうわけよ。

 

それを曲げるとなると

我が国でも喧々諤々の論議と同じく

憲法改正となってしまう。

あっちは修正憲法ですから

付け足していくのでしょうけど。

 

根本的に

「自分を守る」概念が違うわけよね。

 

全米ライフル協会なる組織があります。

議会における大きなロビイストとして有名ですが

彼らは何もドンパチが好きで

活動をしているわけではないのです。

「権利」に関してそれ相当の考えがあっての事です。

 

そんな歴史、内情も知らんと

我が国のスタンダードで測ってしまう。

その一元的なものの見方に

私は逆に危機感を持ちます。

 

そりゃ人間には色んな方がいらっしゃいますから

彼の国を旅行、住まう人には

当然注意しなけりゃいけないことは多い。

さらに、そんな物騒なものが

町中に氾濫している状況は

断然好ましくありません。

 

大方の国が銃に関する規定は厳しくなっています。

しかし各国には各国の成り立ちの歴史があり

それは民意を反映させたものであることは

疑いの余地もありません。

 

「権利」と「義務」は表裏一体ですから

権利を行使するために各個人には

当然義務に応じた深い見識と理解を求められます。

その見識が疑わしくなってきている現在の状況が

問題となっているのです。

 

翻って我々にとって

「今そこにある危機」

それはお隣のミサイルだけではありません。

それも

「なんとかなるんじゃね」

で済まそうとしている我々の意識は

戦後始まった「ぼけ」からだと考えますが

ジャパンクオリティーが揺らぎ始めている現状では

先が見えて来る様な気がします。

 

負け戦から

武力を背景としない短時間での

奇跡と呼ばれる復興。

先達の血のにじむ様な努力の賜物です。

その「賞味期限」が切れそうになっている。

 

確かにあの様な凄惨な事件は許しがたい。

しかし我々の根底にある

「安全神話」

を持って他国、世界情勢を測ることは諸々の意味で

大変危険と私は考えています。

 

何しろ少子高齢、内需の縮小。

他国との交易なしでは

我が国は立ち行かないのでありますから。

 

アイキャッチはNHKさんのHPです。

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