HONDAさんが狭山工場を閉鎖。
世の中実にうつろいやすい。
HONDAの狭山工場と言えば
鈴鹿のそれと双璧と思っていましたが
寄居に集中させて
何でも効率を上げるとか。
何の効率なのか。
これも時代なのですな。
私が、
いやモータリゼーションの波に乗って来た
昔の若人達には
チョイとすぐには理解できぬ世の流れ。
ウェーバー、ソレックスのキャブ
ジビエ、キャレロのランプ
レカロのシート
BBS。。
過去の遺物となるのでしょう。
コレクターズアイテム化。
何しろ近い、極近い将来を見据えての
資本の投入。
「自動車戦争」は次世代を迎えているのです。
EVとハイブリッドが「次」。
これ抜きでは企業も生き残れない。
テスラの成功の例もある通り
間違いなくそうなるのでしょう。
で、HONDAさんもそれを見越して
より効率化された寄居に集約するらしい。
重厚長大の終焉。
我が国の貿易、工業を牽引して来た産業に
骨組みから変わる事を時代は強制しています。
自動運転の国を挙げての取り組み。
さらに推し進めて
自動車を所有する概念すら変えようとしている。
フォード社が車を所有する喜びを
世に与えてから凡そ100年。
次に喜びを与えてくれる物は何なんでしょう。
凡夫の私には想像もつきませんが
おそらくそれは
「物の形をしていないのではないか」
とおぼろげながら考えます。
ところで
車好きの私は二玄社から出ていた
CG カーグラフィック
を毎月購読しておりました。
ここには自動車評論の草分けであり
いや「自動車評論」の始祖かな
小林彰太郎さんが毎月書かれていて
素人では及びもつかない視点での文章に
「車ってこう評価しなきゃいけないのね」
と毎号膝を叩いていたものです。
確か車の加速性能を表す0-4は
このCGから始まったと記憶しております。
同じ二玄社からNAVIが発刊されてました。
当時の編集責任者は鈴木正文さん。
このNAVI
車雑誌にしてはチト変わってました。
巻頭文の「えっ!」
から始まり
松本葉さんのエッセイ
甘粕りりかさんのエッセイ
読んでホッコリ。
チト自動車雑誌にしては変わっていました。
自動車雑誌らしからぬ語彙のオンパレード。
激しく記憶に残る連載物としては
ルポライターさんが季節工として
HONDAの工場に働きに行き
それをレポートする企画。
勿論「覆面」でしたが
工場内の作業工程、その感想。
住み込みですから寮での生活風景。
それをおもしろ可笑しく
また実体験ですから臨場感
「同じ目線」感アリアリで楽しみでした。
多分狭山工場だったと記憶していますが
車の工場って現代日本の貿易を牽引していたのですから
素晴らしく合理的にして近代的。
と思いきや
一本の組み立てラインに違う車種が流れて来る。
そんな「エッ?」
と感想する記述が各所にあったのです。
寮での同室となった方とのやりとりも面白かった。
華やかな新車は
結構ドメスティクな部分が大半を占める。
そんな印象を持ったものです。
その連載は青山で問題となるところとなり
そらそうでしょうね。
だって全国誌にして有名な月刊誌でしたから。
途中で連載が終了したのでした。
てな個人的に行ったことはありませんけど
何となく近親感を持っていた工場が閉鎖される。
時代の流れとは言えチト寂しくはあります。
小学生の時
いすゞの乗用車の工場に
社会科見学で行った事を思い出します。
二階のガラス張りの部屋から
自動車が作り出される工程を
それこそ目をキラキラさせながら食い入ったのを
今でも記憶しています。
そのいすゞも乗用車の生産をやめて久しい。
それから新星の如く新技術とデザインを持って
現れたHONDAさんが工場の再編にかかる。
誠に時代の移ろいが目の前で起こっているのです。
あれからそんなに時間は経っていない気はするんですがね。
アイキャッチはHONDAさんのHPです。