思想系の文学部。その是非。三つ子の魂について。

先日子供の運動会に行ったことは書いた

 

台風18号の影響で一日順延となったが

前の晩、夕食を共にできた。

 

その席でのこと。

彼は高校3年であり

受験生である。

 

当然話題は受験に及んだ。

 

彼曰く。

志望校は変えないが

志望学部を変えたいとの事。

 

その分類を聞いて

 

「あちゃ〜」

 

であった。

 

親としては進振りの時

それが医学部ではないことがはっきりした段階で

少しは落胆はした。

 

しかし子供の人生であり

無理に「親」通すことは間違いであるから

納得はした。

 

ならば社会に馴染みやすい

法学部とはどの親でも考える事である。

その場はそれで収まったかに思えたし

会話の中で彼も納得もした。

 

様に見えた。

 

が、それから彼は考えたそうである。

どうせ勉強するなら

 

「好きなことを勉強したい。」

 

当然諭した。

 

「法学」とは単に六法全書でもなければ

「判例」を覚え運用することでもない。

人間が作り出したあらゆる「法学」は

その大半は人間の倫理観、

哲学による部分も大変多い事を。

 

それは彼も承知していた。

たかだか18歳にして

そこまで考えた事は驚きではあった。

し、「考えた」事自体は嬉しくもあった。

 

「法学ではなければ語学系か?」

の問いに

「いや思想系に行きたい」

 

力が抜けた。

 

どれほど社会に出て苦労するか

散々諭したのだが

彼の一言で沈黙せざるを得なかった。

 

「だって小さな頃からパパそうだった。」

 

幼稚園の頃から良かれと思い

「大学」「中庸」を読み聞かせ

諳んじさせた。

これまた良かれと思い

「知性至上主義」

を説いた。

 

それは今でも私の中では些かも、

微動だにせぬ主義でる。

 

確かにそうではあるが

社会に出る時

これほど苦労する学部もない。

 

何しろ向かう先は資本主義であるから。

勉学に勤しんだものは

「歯車」として役に立ちはしない。

 

その道で身を立てている従兄弟もいるが

そこに至るまで

どれほど下積み苦労したのかを

間近に見ているだけに

 

「おおそうか。頑張れ!」

 

と素直に言えぬ私がいる。

完全なる「自己矛盾」に陥る

パパであった。

 

しかし

 

「三つ子の魂」

 

とは良く言ったもので

相手が年端も行かぬ子供だからと

自己満足に適当なことを吹き込むものではない。

それだけは確実なのである。

 

痛感した一夜であった。

昨夜も母親は電話で説得していたらしいw

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