人生の初めと終わりについて想う事。

巷は「盆休み」である。

この国民的行事に参加しなかった今年は

例年になく忙しい。

今夜は「通夜」である。

 

お盆であるから

その予定も変更しまくりである。

各方面の都合である。

それもなんだかなぁ

であるのだが

通常通り行かないのは

国民的行事の最中であるから仕方がない。

 

しかし、

こう言った出来事になると

その家族親族の「常識」が伺われて

それはそれで勉強にはなる。

 

いきなり

通夜と葬儀の予定のみを

メッセンジャーで送られて来た時には

流石に驚いた。

まぁ世事にいくら疎い私でも

一応の流儀ってのは

聞かずともわかるのだが

そうではない人もいる事は

良く理解できた。

 

自分の「物差し」は他人には通用しない。

 

そんな場面も多々あるのである。

いや

勉強になりました。

 

順番から、父と母がいて

いずれ私も近い将来

それを執り行わなければいけない。

今回の事例に鑑み

粗相が有ってはならぬ。

誰にも知らせず

家族で行うのが一番よかろうとの

結論を自分の中に出した。

 

そう言えば

今日受講生と雑談したのだが

 

どんな人生が望ましいか。

 

思うに

この世に生を賜った時、

私は泣いていた。

と、思う。

多分。

 

そしてその私を囲んだ人たちは

破顔していた。

と、思う。

多分。

 

で、私がこの生の終焉を迎える時

周りは泣きながら私を見つめて欲しい。

 

そして当の本人たる私は

笑顔でそれを眺めながら

静かに目を瞑りたく思う。

 

そんな人生を送りたいものである。

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