年老いた親を持つ現実。
いつも心の準備だけはしております。
考えたくありませんが
現実なのだと自分に言い聞かせます。
電話は常に肌身離さず。
昼間はブルーツゥースですから
着信音は消しておりますが
寝る時は音出しで枕元にて充電。
実家詣でした時は
ごく普通に「バイバイ」してくるのですが
正直、その年を考えますと
何が起きても不思議はないのです。
父は施設におりますから
異変が起きたとすれば
夜中でも連絡があるはず。
母は独居で家におりますから
異変が起きたとしたら
ヘルパーさんが来てそれからだと
大変現実的に考えております。
これを不謹慎と思えない現実と
直接対峙する。
「いずれは」と思っていましたが
いざ現実となりますと
結構「重さ」を感じます。
それを実感させたのが父親の様子でした。
昨年の今頃とは丸で違う。
その衰弱と
ボケ方が異常な位の速さで進行です。
正直、この先の状態を彼の肉体を通して
どうなるのか想像がまるでつかない。
あの堅牢だった父の肉体が丸で骨と皮。
六大学の体育会で鳴らした体がです。
「このまま」は有り得ないでしょうから
ついには自力で立つことも
歩くこともできなくなる。
そんなに時間は残されてはいない。
寝たきりの状態。
母親は会話はしっかりしていますが
肉体的な衰えは
これは避けられません。
病院の先生に伺った話ですが
昨日まで普通だったのが
寝てる間に心臓が寿命を迎える。
そんな事はよくあるのだそうです。
両親ともに健在とは
聞こえは良いかもしれませんが
時限爆弾を二個抱えた様なものです。
一日を迎え
そして暮れる。
その度に残された自分の時間を思う。
子供の成長を見守りたい。
それとは全く違う時間の流れが
同時に進行して行きます。
誠に無常。
「久しくとどまりたる」
を実感しつつ送る毎日なのですよ。
アイキャッチは実家の椿ですが、
椿って象徴的ですよね。
ある日
ポトリと落ちる。
桜の散り際とまた違った
刹那があります。