「若者よ!」

黒々とした葉から薄緑色の新しい葉っぱが。

「黒々」とした葉はさしずめ大人、
もしくは「社会」であろう。
新しい葉は若者?少年?を連想させる。

大人はそれなりに経験を積み、
経験律から物事を判断する。

対する若者はその少なさから
「我」を中心として物事を判断断定する。

そしてその葉を「真っ直ぐ」に
正しい方向に導かねばならぬ。

と、考えたいのだが
若者には若者の世界観がある事に気がついた。

なぜこんな訳わからん曲が支持されるのか。
なぜ二次元にのめり込むのか。
なぜさして上手くもない少女集団に狂喜するのか。

そのどれもが自身の経験に無かった事ゆえにである。

考えてみれば良い。
私らの時代にもそれに代わるものはあった。

己がそうであった様に
当時の想いが大人になった自分の世界に
どれほどの影響を与えているか。

それに社会規範、経験が加えられ
今の自分がいる。

当時から自分の「核」は微塵も変わっていないのだ。

いや、それがあるから自分の存在を、
他者と違う自分の存在を確認し安堵する。

無理強いする母親を「素直さ」でかわし
実はその陰で自身のやりたい事をして来た自己史は
決して褒められたものではない。
私の場合。

「ちっとも親の言う事を聞かない」

良く耳にする言葉です。

いいじゃないですか。

大人に取っての「良い子」が
すべからく「聞き分けの良い子」だったら
逆に要注意。

私の様に陰でコソコソ。
親が正しい様に迎合してみせる。

そんな姑息な手段より
「真っ向勝負」

その素直さが将来を期待させる。

と、思いたい。

うちの子、ちっとも言う事聞かないんですよぉ!

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