続きである。
どこまで書いたっけ?
とりあえず
家内は専門職である。
元来知性に対しては「前向き」の人である。
「致知」なる月刊誌も購読している。
週刊誌ほどの厚みであるが
月刊誌である。
致知出版社の刊行であり
社長の髪型は「変」である。
前月年間購読の更新であって
その御礼に小さな
誠に小さな「小冊子」が送られてきた。
それをパラパラとめくり読みした。
表題は「人を育てる」。
ビスマルクの言葉を引用しつつ
曰く
「人間の土台を創るのは家庭である。
一家の習慣、教養、風儀が
子供の人格の核を創る。
人を育てる原点である。」
だそうである。
なぜこの一文をここで書くのか。
それは先日の子供の電話から発する。
先日話した時に
「普通に大企業でもいいんじゃ?」
の私の発言に
「いや、自分らしくないと感じる。」
と返してきた。
「だってそう育てたのはパパじゃないか。」
「???」
思い返せば
彼は中高一貫校に行った。
全国から来る生徒のために寮があり
高校2年から学校専門の下宿に移る。
夕飯時
彼は7時のニュースを観たかった。
しかし同じ下宿の同級生たちは
季節にもよるが野球チャンネルから
変えようとはしない。
多数派であるから仕方がない。
そこで級友たちから言われた言葉。
「君は野球にも興味がない
お笑い芸人も知らないし
それで笑うこともない。
一体何を楽しみに生きてきたの?」
彼は釈然としなかった。
当然それが楽しいと感じないからである。
当たり前だが。
で、電話に戻るが
「だいたいさ、幼稚園の送迎の時に
大学を暗唱させらていたんだからさ。
今でも始まりの文言いえば
あとは続けることができるよ。」
「そんな環境でお笑いとかに笑える感性はできないよ。」
「大学」とはあの四書五経の「大学」である。
大学と中庸は「礼記」から派生しているが
私のはその韻が心地良く好きであって
「子供にも」とやっていたのである。
韻が子供にもわかりやすい。
知性至上主義が子供にも自然と沁みたらしく
で、先の問答となったわけであるよ。
それはそれで良い事とは理解している。
何しろ
「人間の人間たる所以は頭脳」
知性であることには現在に至るも
些かの疑念は持ってはいない。
でもしかし
子供の将来に絡んでくるとなったら
話は別である。
それを本職にしようとしたらどうなるか?
現実、従兄弟の例を身近に観ていたこともあり
超絶「茨の道」である。
そこで私の「凡人」が頭をもたげる。
「真っ当な道に進んで欲しい。」
なにが「真っ当」なのか?
思いが噴出するのであるが
私の「建前と本音」「二枚舌」が
見事に露呈するのであるよ。
以下次号。
乞うご期待。