恋の力は強力であるが、いつの間にか時間がそれを追い越して行く。

初恋!

 

と申しましても

どれが初恋やら人によって言い方は

それぞれでしょう。

 

幼稚園のお隣さんから始まって

中学校でときめいて

高校で付き合ってとか。

 

で、大学時代に好きな異性ができて

それがもしも成就したとする。

これがいわゆる

成人としての恋の最初ではなかろうかと

私は考える訳であります。

 

何をきっかけとして

「恋」に落ちるのでしょうかね。

 

私の場合

「落ちる」のではなく

積極的に「取りに行った」。

 

サルですな。

 

しかし何がきっかけなのでしょう?

顔が好み?

話し方?

漠然と全体の雰囲気?

 

それはともかく

「思い込んだら試練の道を」

なのでありまして

そりゃ涙ぐましい努力もすれば

一人の時は、

この小さな胸がはち切れんばかりに

その人のことで占領される。

 

ちったぁ勉強しろよ。

と当時の自分に言いたいのであります。

恋の力は相当なのでありますよ。

 

で、それが破れた時

いや

私にも当然経験ありますが

そりゃ悲惨なのであります。

そして惨めでもあります。

 

「もう俺はダメダァ!」

 

でありまして

しかし生きては行かねばならない。

 

どうにかその苦しみから逃れる為

人は様々な方策を講じます。

 

とんでもない思想に染まり

理論武装するのも手ですな。

愛とか恋を観念論として

超越する試みまでやってしまう。

 

しかし素に戻ると

やっぱり人恋しく

しかし恋に破れた現実からは逃れられない。

 

そこで

「もう2度と恋などしない」

「もう誰も愛さない」

 

と決まり文句が出てくる訳であります。

 

が、雑踏の中

似た服、髪型の人を見つけると

鼓動が高鳴り

なぜか駆け寄りたくなる。

 

見方を変えれば

それほど恋の力は強力なのでありますよ。

 

しかしですな

いつの間にか時間が愛を追い越して行く。

そして現在がある訳でありますが

まぁその年に応じた

異性との対応が身につくのですな。

 

種を残す事がこれほどややこしい

また残した後も

ややこしい時間を過ごさなければ

いけない生物は稀でありましょう。

 

でもね

今でも時おりまだ愛を夢見るのですよ。

 

いえ

誰か意中の人がいるとかではありません。

あの夢中だった時代の自分を

自分の中に見つけ

そのいじらしいまでの一途さが

懐かしく愛おしいのです。

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