最近まともなブログが書けない理由。

最近まともな文章が書けません。

 

勿論、自己評価です。

 

元々「まとも」なものが書けていたのか

それは言を待たないのであります。

 

しかし

「考える」行為は淀みなく続いているものの

それを「記す」行為にまで及ばない。

 

何故か。

 

「俗」な事象に惑わされているから。

 

では「俗」とはなんぞや。

 

私が考えるに

誹りを恐れず書きますと

世事一般が全て「俗」。

それが私の精神世界に強く長い波長の

大波が襲来して飛沫を上げ

そが為に唯一私を私たらしめる思考の

邪魔をする。

 

勿論、世事全般が「俗」とは申しません。

中には催事で主催者が意図しない部分に

触発されることもあります。

美術館とかでね。

 

近いところでは

私が言うのは滑稽ではありますが

家内は

多分「聡明」に分類される女性です。

確かに社会でありますとか

成績、偏差値ではそうであったでしょう。

 

しかし

これは個体差なのか性別によるものなのか

精神世界に浮遊するを

楽しみとしない人でもあります。

 

私は「生きる」のが下手な男ですから

彼女の様な女性を伴侶として

下さったのでしょう。

 

誰が?どこから?

 

私は無宗教で、無神論者ですから

 

それに運命論者でもありませんので

答えに窮するのであります。

 

ですから逃げ道として

「塞翁が馬を実感します。」

と書きましょう。

 

古の中国では良い思想を

上手く短い言葉で表現してますね。

これは淮南子でしたか。

 

ところでこの「塞翁が馬」

の前の部分。

「人間万事」なのですよね。

 

これをどう読むか。

「にんげん」と読むか

「じんかん」と読むか

声には出さずとも

どちらの意味を込めて読むか。

 

断固「じんかん」ですね。

 

意図的に自分を曲げない。

自分に嘘をつかない。

その表現形態は色々あれど

それを与えられた時間いっぱいに

体現するなら

多分

 

「じんかん」

 

つまり世間は

 

「万事塞翁が馬」

は間違いないと考えるのです。

 

私の様に

先が余り残っていない人間にとっても

それに思いを致せば

残りが短ければ短い程

充実

いや

凝縮された時間を慈しみながら

自分でありたいと。

 

で、

親のこと

家の処分のこと

ガキの学校のこと

金策

それにまつわる家内の不機嫌。

 

有り体に言えば

 

家内の顔色伺っているからさ

上昇志向の考えまとまらなくて

書けないのよ(笑)

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