「行動」は「習慣」となる。

考える→行動

の図式を長年繰り返し

生活の中で当たり前として続けていますと

 

それはその人独自の行動様式となります。

 

何が独自なのか。

 

超身近な例ですと

例えば箸の使い方。

テーブルウェアの使い方。

にも当然現れますし。

 

誤解なきよう。

マナーに則しているのかを

申し上げているのではありません。

 

その使い方に

その人の経験、履歴

食事がその人に取って

どれ程の位置を占めるのか。

が現れるのです。

 

そして結果同じことを伝えるのに

話し方の違い。

等々。

 

当然他人様の考え、意見も

取り入れましょうが

それを加えた上で更に考えるのですから。

例えば、

よしんば同じ意見の人が

現れたとしても

自分のその結論に至るまでの道のりは

各々各自違っています。

それは当たり前ですね。

 

ところで、現在

周りを見渡すに

正直に申し上げるなら

いい大人が

「付和雷同」であったり

お年の割に幼く感じたり

 

幼くとは

例えば話していてもそうですが

書かれている文章が

「これは〜」

の方とか。

そんな方が周りからだんだんと消えている事に

フト気がつくのです。

 

経験論から申し上げているのですが

やっぱり他者とお付き合いするには

相手も何かこちらのアンテナに

ピッピッっと来る人が好ましい。

 

昨日も申し上げたの通り

自分を確立してからの残された人生の時間は

あまりに短いのです。

その短い時間を充実させる術を

人間は本能的に行っているのかも知れません。

 

まぁそう申し上げても

私を例にとれば

実情として

まだ無理にお付き合いしている人も

いらっしゃるのでありまして

これは私の正に未熟、不正直

また不誠実な部分として

わかっちゃいるのです。

情けないですねぇ。

「大物」になれない訳です。

 

しかし意識の中では

きっかけを待っている自分が

いるのをハッキリ見えるのです。

 

では何を持って充実させるのか。

 

それもまた他者との交わりが

大きな要因である事は動かしがたい。

それを社会と表現するのなら

そこで自分の存在を他者に認めさせ

それが社会に影響を及ぼす。

そんな方も「極稀」においでです。

では何が彼、彼女らを育むのか。

それは冒頭に戻りますが

「考える」→「行動」

そしてそれは「習慣」となり

当人の生き様となって歩みの後に

クッキリとした跡を残します。

 

この「習慣」が

 

実に大事でありまして

いえ

今まで書いて来た事は

全て大事なのですが

特にこの「習慣」は

これが他人様、社会から見て

「あなた」の姿となって

形を顕すのでありますよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です