子供の育って行く様を眺める楽しみ。

先日の子供の冬休みが終わり

 

当たり前か。

今日はセンター試験だもんな。

 

とにかく、彼を下宿先に車で送る道中、

 

いや「甘い」とはわかっているのよ。

「いい年なんだから一人で帰せよ。」

と、言いたくもなるでしょう?

 

でもね、もう卒業で

下宿を引き払う準備にかかる時期なれど

何故か荷物が多くて

スーツケースにダンボール2つ。

「ま、いいか」

と車で送ることにしたのであります。

 

話戻して

その車中での会話。

 

「もう卒業だけど今の学校どうだった?」

「どうもこうも自分で選んだ訳じゃないし」

「あれ、好みじゃなかったの?」

「小学生に、どの学校?と聞かれてもねぇ」

「あら、受験は希望してたんじゃ?」

「いやいや、それはない」

「じゃなんで受験したの?」

「そりゃ親のあなた達が言うからでしょ」

 

ちとビックリ。

 

「え〜 公立でも良かった訳?」

「公立?私立?小学生に聞かれてもねぇ」

 

直球ど真ん中なお答え。

 

「東京のあの学校はいいかなと思ったよ」

 

それは親の私の甲斐性なしの結果。

申し訳ないと言うしかありませんな。

 

「じゃ6年間の総括としては?」

「まぁ良かったんじゃない」

「どこら辺が?」

「まぁ今の高校でなければ志望校も違っていたろうし」

「そか」

「そりゃ後から気がついたことで

最初はガラリと環境変わって面白かったよ」

「寂しくはなかった?」

「いやいや、面白すぎてw」

 

私には想像つきませんが

親元離れた連中ばかりで

6年間寝食共にするとはどんなんだろう?

反抗期真っ盛りのガキどもの

真っ向ぶつかり合い。

面白そうですな。

 

と、子供を放り込んでおいて

無責任ではありますが

想像を巡らすのであります。

 

子供の変化

 

と言いますか

その成長は予定されていたものか

はたまたその環境のせいなのか

測りかねますが

親の「子供像」を見事に打ち砕くものばかり。

しかし思い返せば

自分の若かりし頃もしかりですものね。

違う意味で。

私は「親の目を盗んで」が

得意科目でしたから。

 

が、我が子と言えど

全く違う人格。

それは認めなければいけません。

かれは私とは真逆。

結構「芯」を捉えていて

何事にもストレート。

ゆえに時として「物言い」が

残酷なものともなります。

何事にも評価に遠慮がない。

ズバリ、ピンポイントで突いて来る。

厳しいのではないのですな。

正直なのです。

 

先ほどの会話も本音でありましょう。

親としては意外な回答でしたが。

自分の意思をはっきり口に出せる。

羨ましいですな。

「自分」がないと言えませんから。

 

当たり前ですが

「これから」が無い私と

「これから」が永い彼。

 

会話していて

「ああこんな風に物が言える自分でありたかった」

と後悔の念混じりで羨望するのでありますよ。

 

しみじみ

子供の成長を見るのは楽しいものであります。

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