ベートベン「運命」とブログの書き方の類似点。

いつも持つ違和感だが

 

普通に思うことを書く文章と
ブログの書き方は全く違う。

 

ただ

この二つに共通するところは

「思うこと」「考えたこと」を

「如何に読み手に上手く伝えるか」

の点に集約される部分だけである。

 

「上手く伝える」であっても

「面白く」「引き込む」「考えさせる」

の小説、エッセイとは全く違う。

 

小学校で習う作文

「書く」の原点であるが

「起承転結」が基本。

作文と言うものに限り

概ね原稿用紙3~4枚程度のものなら

これでバッチリである。

 

内容はともあれ

普通に「読める」。

 

後は語尾

「ました」

「です」のリフレインを防ぎ

さらに語彙の多様で変化は付けられる。

 

同じ「書く」でも論文は全く違う。

これには主観主語はご法度である。

「私は思う」「私は感じた」

など提出した段階で即、単位を落とす。

 

周到な資料集め

読み込み

それを組み合わせ

思考のスパイスをふりかけ

そして導き出される結論。

当然「論理的」

「合理」を求められる。

その結論が斬新なら尚「可」なのである。

 

私は文系ゆえ書いたことはないが

理系の論文はアプローチ、実験と

再現性に集約されるのであろう。

 

ところでブログ。

 

これは一種の日記なのであろうか?

 

日々考えたことを毎日上げる。

しかし、日記とは言い難い。

 

稀にいらっしゃるが

至極個人的なことを書かれる。

それもアリかも知れぬが

これは一般人向けではない。

個人情報を意図的に

ダダ漏れさせる度量は私にはない。

 

では何を書くか?

日々テーマを決め

それについてはては経験論から

はては推論。

 

だがしかし

これは「上げた」段階で

一般の目に触れる。

故に偏った思考を匂わせる

もしくは嫌悪感を持たせる書方は

当然これもご法度である。

 

故に「当たり障りのない」ものが

良く選ばれる。

 

「物」「食い物」「旅行」「事」等々。

 

もしくはマニアックに特化させる。

これもマニアック故に無害である。

 

が、私が書きたいことではない。

 

それに最近気がついたのだが

(早く気付けよ)

ブログは最初に
もしくはテーマに結論を持って来る。

 

私にしてみりゃ実に変わった書き方である。

 

これはある意味

新聞の記事の書方に似ている。

例えばご当地では

「阿蘇の自然を守れ!」

良く見る地元紙のタイトルであるが

冷静に見れば、

かなり「上から目線」である。

 

「誰に向かってもの言ってるんじゃ?」

(関西弁風味で)

 

英語で言えば動詞で始まるのと同じである。

 

それはともかく

私が「ものを書く」場合

最初に結論は書かない。

意図的に書く場合もあるが

それは魂胆あってのことである。

概ね静かな書き出しである。

そして筆が乗って来たら

途中から一気加勢に結論まで

書き上げる。

 

あ、今思いついた。

 

みなさんご存知のベートーベンの

交響曲5番 邦題「運命」。

ブログの書き方は例えるなら

あの第一楽章なのよ。

「運命の扉を叩く」。

いきなりテーマがジャジャジャ〜ン!

インパクトありますよね。

 

私の書方は第三から第四楽章。

こじんまりと

うかがう様な書き出し。

エンディングなど予想できない。

聞き終わると

出だしの予想とは違うけど

「これもアリでいいんじゃ」

が理想かも。

 

つか、最近「物」書いてないわ。

現実、鬱陶しい事多すぎて

頭の中、整理つかない。

 

て、言うかさ

このブログも

イマイチ毎日書いていて

煮え切らないのよね。

誰か「お題」を頂戴。

その方が楽だわさ。

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