あけましておめでとうございます。
皆様に満遍なく良い年であります様に。
と、本気で願うのであります。
初っ端からから野暮は言いたくないのですが
この正月
グレゴリオ暦でありまして
その導入は明治6年 西暦1873年
それから145年であります。
時の政府も
思い切ったことをしたものでありまして
しかしながら
それがなかりせば
世界に伍して国の繁栄はなかった。
日清、日露
第一次、第二次
戦の度に強靭な国へと
変貌を遂げて来たのであります。
なんだかんだ言っても
それは事実だからしょうがない。
紆余曲折はあったものの
小市民たる私が
こうして平和に書ける世の中は
実にありがたい。
ところで
大方、我々の高祖父の時代は陰暦
旧暦でありますから
「正月」は当然現在と違っていました。
その時期はズレていても
共通するのは
「めでたい」。
何が「めでたい」のか?
それは人間の気持ちの問題であります。
何事にも「一区切り」つける。
これは大事なことでありまして
気持ちをリセットする。
私の様に過去に固執して
ようとして先に進めない軟弱な人間には
半ば強制的にそれが行われるのは
誠に慶賀すべきことであります。
「今年こそは!」
と気合十分な年はなかったのでありまして
それだけ「崖っぷち」なのでしょう。
昨年は反省すべき点多々多過ぎで
それをしっかり踏まえ
またしっかり「実利」のある歩みを
今年はしたいものであります。
初詣にはまだ行ってませんが
今年は数十年ぶりの熊本にての正月。
どこにお詣りに行けば良いのか
実に悩むのでありますよ。
話変わって
神社での願掛け
その心構え知ってます?
神社にもよりますが
いえね
「〇〇の神様」
とかあるでしょう。
その道に特化した神社は別として
「願掛け」は特にしなくても良いのだそうです。
なぜなら
神様はなんでもお見通しですから
ちゃんとお判りだそうなのですよ。
ですから
長々と手を合わせてお願いせずとも
チャッチャッとでも十分なのだそうです。
と、言いながら
今年は子供の受験。
多分、長々と手を合わせる私なのでしょうねぇ。
その肝心の子供。
私らが「正月気分」になど
とてもじゃないがなれない親心を
知ってか知らずか
全然緊張感はなく
さりとて
余裕ブッコク成績でもあるまいし
何考えてるんだか。
センターがすぐあると言うに
どうするんだよ!
と、正月早々気を揉むのであります。
こりゃ前途多難な幕開けとなりそうな予感。
そりゃ置いといて
今年もお付き合いのほど
よろしくお願い申し上げます。
叱咤激励
ツッコミ
大歓迎でございます。