「踊る素数」新タイトルに寄せて。なんちゃって。

昨日ブログのタイトルを変えた。

 

新タイトルは

 

「踊る素数」

 

である。

以前は

 

「鬱のスタイリストが教授する。。」

 

であった。

 

変更した理由は

以前のタイトルに自身で

チト

「引いた」から。

 

毎日更新しているが

書くのは苦ではない。

書きたいことは沢山あって

このブログの他に書き溜めているものもある。

ここに書けぬ事が多いだけである。

 

毎日書いていて

書くことに目が行くあまり

ついぞ、

どう反映されているか忘れてしまう。

 

勿論、書いたことはチェックはする。

で、昨日

全体を見回して

 

「あれ このタイトル?」

 

となった次第。

 

このブログを書き始めた頃は

精神的に追い込まれていた。

それは現在でもあるが

なんでも吐き出したくなって

キャッチーなタイトルにしたのだろう。

 

多分。

 

「鬱」がキャッチーだとは

現在は思っていない。

 

確かにその病を背負ってる方は多い。

だが、それをタイトルにして

多くの人に読まれようとは

実に浅慮であった。

 

と、今は思う。

将来はわからない。

 

今回のタイトルであるが

「素数」とはご存知の通り

 

正の数で自身でしか割り切れない数。

 

正確に言えば「1」でも割れはする。

しかし、その性格上、自身と同意である。

 

そしてその数は多すぎてわかんない位

存在する。

 

と私は覚えているのだが

違ったかな?

 

違っていたらまた別のタイトルを考えよう。

 

この年になるまで、

いや

誰しもそうであるが

繰り返された日々の営み。

毎日同じ様で

実は全く違っているのである。

 

毎日経験を積み重ね

時間も経過すれば

ものの見方も違ってくる。

当然、考え方も。

 

それは人間の数だけ存在する。

その感性は自身だけのもの。

であるから「素数」なのである。

同じものは1つとしてない。

更に言うなら

自身の中にも同様に存在はしない。

 

自身の中で経験律として

また思惟方法として

その結果を昇華させているのである。

 

その素数な日々を楽しみながら

残された日々を生きたいと

これまた

安直にタイトルをつけた次第である。

 

最近であるが

驚天動地の事が起きた。

その時はそれで頭がいっぱいになり

他のことが良く見えなくなり

考える事すら鬱陶しくなっていた。

 

人間の

いや私の頭は実に視界が狭い。

しかし時間と距離を置いて考えるに

「だから?」

と冷静なってしまっていた。

 

実に私の脳は単純である。

 

しかしこれもまた

素数な日々を積み重ねたゆえの

導き出された答えであろう。

多分。

 

その私にとって

その「驚天動地」をふりかけた方は

手練れぶりから見て

過去にその手の事を繰り返して

今があるのであろう。

そしてそれはなにがしかの成果を

もたらしていたであろう。

 

との答えを導き出した。

 

全く私と違う別世界に住まう方も

おいでであると言うことを知らしめた、

言い方を変えれば

私に新境地を見せて下さった。

その点では感謝せねばならぬ。

 

そして今回の対応は

今までの私と全く違っていた。

これは偉大な進化である。

 

今回の「事件」は異色の出来事であったから

自身の中で際立っていたのである。

しかし

良く回りを見回し目を凝らせば

考えねばならぬ事や

やらねばならぬことは多い。

 

それ1つ1つに思考を巡らし

自身の考察を楽しむ。

この調子で行けば

病的に頭がボケるまで

 

人間とは進化を続けるものである事を実感する。

 

毎日毎日積み上がって行く経験。

毎日積み上がって行く思考。

毎日そこには「素数」が踊っているのである。

また、踊らせる私でありたいのである。

 

これからもご贔屓にとお願いするのである。

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