深い実家詣で。チューブでも永らえさせるべきか?

一昨日、実家に行ってまいりました。

 

もう習慣となっいるあれです。

 

が、今回はチト少し重い話をしに行かねば

なりませんでした。

過日の父の病院騒ぎの後

施設から尋ねられたことがありました。

 

それは

「口から食事を摂れなくなった場合

胃に直接チューブで入れる事を望むか?」

でした。

つまり食事を摂れなくなると言うことは

人体の終わりを意味します。

 

それを人工的に胃に入れることによって

永らえさせるか?

との最終的とも取れるお尋ねでした。

 

いつもの如くやらなきゃいけない事を

大急ぎで済ませ

 

と言いましても

ヘルパーさんたちの不満も

聞いてあげなきゃいけませんので

これがまた疲れます。

神経的に。

 

いくら彼女らが慣れているとは言え

当然人間ですから

そりゃ溜まるものも溜まります。

特に癖の強い我が母ならなおさらでしょう。

ボケたふりして

確信犯的な所も多々ありますので。

 

それから実家にとって返し

母に父のことをどうするのか

尋ねました。

 

どの方法をあなたは正直望んでいるのか?

 

母は体が生きている限り

どうにか永らえさせて欲しいとのこと。

 

その答えを持って父の施設を訪ねますと、

これはまた!

父の兄弟、

その子供たちも来てるではありませんか。

微動だにしない父が大勢の親戚に囲まれています。

 

これはこれで

子供としてはチト納得が行きません。

まずは私にその旨尋ねるのが筋でしょう。

完全、私は「蚊帳の外」でありました。

 

書きたいことは山ほどあります。

この後に及んで、

愚痴ってもしょうがないのはわかります。

しかし

子供を差し置いて施設に連絡し

大勢で尋ねる。

こりゃどうなんでしょうねぇ。

 

まぁそれは、そんな一族だと諦めるとして

潮が引いた様な静けさの中

看護師さんに母の希望を伝え

身じろぎもしない父の耳元に口を寄せ

 

「おと〜さん」

 

と少し大きな声で話しかけました。

するとどうでしょう

微笑んだのです。

 

同席していた看護師さん2名も大層驚かれ

涙を流されました。

聞けば、ここは「陰」の世界。

 

言われてみればそうです。

「お迎え」を待つ人が対象ですから。

 

気持ちを「陽」に常に持ち続けなければ

自分が持たない。

 

アルツハイマー、認知症の人に於いては

何もわからないとされているが

自分としては確信があった。

この父は実は聞こえているし

わかっている。

それを表情、言葉にできぬだけだと。

 

それが今現実に起こり、確信した。

と。

 

まぁ母の希望通りにいたしましょう。

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