ジミヘンとヘリコプターの関係について。戯言注意w

ジミヘンはベトナム戦の映画に良く使われる。

 

ベトナム戦はアメリカにとって唯一の敗戦である。

と、一応アメリカ史ではなっている。

 

ケネディ大統領の頃に南ベトナムに介入して

トンキン湾事件を契機に

ジョンソン大統領の頃にそれは盛大になった。

 

結果はみなさんご存知の通りであるが

その後遺症はひどかったのである。

当時はシェルショックと呼ばれた

現在で言うところのPTSD。

シェルとは薬莢を意味する。

ストレス障害を一般化したのはこの頃であろう。

 

もちろんそれ以前にも存在はしていた。

特に太平洋戦争に参戦し

日本軍の捨て身の戦いを生き抜いた兵士は

ほとんどそれを経験したと言う。

 

あそこまで大規模なものではなかったが

ベトナム戦も過酷な熱帯の自然と

一瞬足りとも気を抜けない緊張。

不意を突かれる生死の境目。

それらは彼らの神経を蝕み

逃れるための薬物を認容した。

 

一方、当時の国内においても

弾は飛んで来ないのであるが

反戦運動と薬物は一体で語られる事が多い。

 

この奇妙な符合はなんなのであろう。

 

そしてベトナム帰還兵への冷遇。

これもまた単に戦の結果からとは言い難い。

 

彼らは命令により行ったのであり

その様な待遇を受けるとは

露ほども予想していなかったであろう。

余程、思想的に国内が混乱していたと想像する。

 

戦に対するそれと人種に対するそれが

一気に吹き上がり混迷したのである。

それぞれの側の個々がイデオロギーを持って

それぞれの事に当たったとはとても言い難く

今でも私の中で疑問として残っている。

 

それから月日は流れて

戦場を砂漠に変えて

かの国では戦が続いているのであるが

ベトナム戦の時の様なカオスは出現していない。

 

しかし第一回目の湾岸戦争の頃

戦場での兵士へのインタビュー。

彼らが話す英語は

東部のスポークスマンのそれとは

明らかに違っていた。

それを鮮明に思いだす。

 

これは私の中では奇妙に腑に落ちるところである。

 

ところでジミヘンだが

ベトナム戦が終わって相当経つ。

もう両国とも国交を回復しているのであるが

かの戦いを題材、

もしくは一過程として描いた映画は多い。

 

ベトナム戦はヘリコプター戦とも言われているが

それが出撃、登場する場面では

なぜかジミヘンが良く使われる。

 

これもまた一度考えて見たいものの一つである。

 

と、家内と喧嘩して

逃げ込んだ冷房の効いた職場で

徒然と考える晴天の日曜であった。

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