時代と共に「社会規範」は変化するか?否である。と言いたい。

大声で電話をかけながら歩く人を見た。

 

今時、大変珍しい。

 

先日コンビニに車を止めた途端

「はい?!」と

思わず振り返る

大声で響き渡る会話。

 

いや

正確には「会話」ではない。

声の方角を見れば

電話をしながらコンビニに向かって

歩いてくる一人の中年男性。

 

一瞬、同じコンビニに入るのを躊躇した。

 

幸いコンビニに入る前に

「今からコンビニ入るから切るけんな!」
(熊本弁です)

で、私もコンビニに入店したのだった。

 

なぜ大きな声で電話している人を

異様に感じるのか。

もし「会話」

相手がいて大声で話していても

それ程異様には感じないのかもしれない。

 

多分、地声が大きくて

話に夢中になって

と思うのだが

正直

普段の会話でも

「そんなに大声で話さなくても」

との思いが強いからであろう。

 

普段、私は大声の会話を

忌避する傾向があるが

それを一人で行っていることに

格段「異様」を感じる。

 

周りが気にならない。

つまり通常の常識が通用しない人。

と「普通の人」は思うのである。

 

それは私だけではない。

過日、

内回りのJRで同じ様な光景に遭遇したが

当然、車中は

「ケータイの会話は禁止」である。

が、しかし

誰一人注意する人はいなかった。

 

当然周知の事であるにもかかわらず

大声でその禁を破っているのであるから

「触らぬ神に」

なのである。

 

そこら辺りは

我々日本人の国民性。

良いのやら、悪いのやら。

 

ご当地は車がないと

動きが取れない地であることは

今まで散々書きました。

 

その車の運転でも

平然と涼しい顔で

こちらが急ブレーキを踏まなきゃ

いけない場面を作り出すドライバーが多い。

 

昨日も右折車線にいて

いざ曲がろうとしたら

直進車線からウインカーも出さず

いきなり目の前に現れ

私を押しのけて曲がって行った

中年ご夫婦の車があった。

 

どんな神経なのか。

まぁ次第を説明されても

私の頭では到底理解不能な

内容なことだけは間違いない。

 

自分の常識がもし正しくても

それが通用しない時代に突入しつつある。

それとも私が時代遅れの

非常識なのか。

 

断じて否なのである。

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