イングリッシュ ペイメントから思い出したアラベスク様式の窓を通しての静寂。

アラベスク様式で覆われた窓越しの

同じ高さの尖塔から

静寂の中、祈りの言葉が響いている。

 

気だるい午後のバスタブから聞くそれは

違う文化の中でも

人の営みは日常と

変わりがないのであるが

その静寂と異文化人の日常が

際立つ象徴的な場面であった。

 

そんな場面が映画

イングリッシュ ペイメント

「英国人の患者」

にあった。

 

気だるく温暖で青空が広がる土曜日に

窓越しに外を眺めていて

ふと、思い出した。

 

原作はマイケル オンダーチェさん。

もう大分前に公開された映画である。

 

もう一つ

リドリースコット監督の

ブラックホークダウン。

 

この中盤の戦闘場面で

祈りの捧げている間は戦闘中止。

そんな場面があった。

 

思うに、それほど民衆に深く根付いた

信仰を私は知らない。

ラマダンは現在でも厳密に守られているし

ハラールもそうである。

 

信仰は

長い歴史を経た今でも

守るべきものであり

それは人々の「糧」である。

 

守ったからと言って

現実の生活が楽になるものではない。

それは現実を見ればわかることである。

 

しかし、その生活の苦しさを

「今生」のものとして受け入れる

信仰を誰が否定できよう。

 

その信仰者の中には

今世界で問題になっている事件を

起こしている人たちもいるのも確かである。

 

その人たちの起こした行為だけを捉え

その信仰を否定しかねない

世界の風潮が作られつつある

現状を危惧するのである。

 

長い人類の歴史からすれば

エルサレム一つとっても

シオニズムの台頭から現在まで

「ほんの瞬きする間」

であることは間違いない。

 

信仰の違いによる

長い歴史にはクルセダーズもあった。

 

現在の我々日本人には信仰で

現実に問題が発生すること自体

理解し難い事である。

 

繰り返すが

「現在の日本人には」

である。

 

個人主義、拝金主義

主義は色々あるが

自己の存在を己のものだけとする

思想からはまず生まれ得ぬものであろう。

それは、かの宗教に

限ったことでは決してない。

 

余談だが

信仰者にとって「宗教」との概念はない。

生活を司る全ての存在である。

 

「与えられたもの」

としていかに全うすべきか。

なのである。

 

方法は様々あろうが

それは決して他者を否定するものではない

ことだけは確かである。

現在においては。

 

その視点から現在世界で起きている事態、

またこれからのそれの対処を

深く憂えるのである。

 

私は根っからの性善説ですから

多分大丈夫だと思ってますけどね。

 

と、たまには真面目に書いて見た。

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