ペギー葉山さんの「学生時代」から思い出す四方山。

先日ペギー葉山さんの訃報に接しました。

 

彼女の歌を歌声喫茶で声張り上げた年代からは

遠く離れておりますが

彼女の「学生時代」は後に替え歌として

私の「生徒」時代に歌われ

今でもその歌詞は時代背景と共に

思い出されるのであります。

 

1966年にフランスの

学生たちが起こした活動が

後に「5月革命」と呼ばれる

反体制運動に発展し彼の国をして

大戦後最大の危機に陥れたのでありますが

我が国でもその少し後に

東京大学の医学部に端を発した

一連も学生運動が起こりました。

 

それからマンモス大学である

日本大学に飛び火。

当時学友10万と言われていましたから

そのエネルギーはすごかった。

 

それらの影響は「学内」だけにとどまらず

当時の「生徒」「学生」らの思考に

重大な影響を与えたのでありますよ。

それは

世界各国の大学で起きたのであります。

共産圏は違ったでしょうけど。

 

我が国では日米安全保障条約の

10年毎の更新年に向かい

これまた反体制運動と連携し

テレビでは毎日デモの嵐と

機動隊とデモ隊の衝突

その少し後には

代々木系と反代々木系の

学生たちの衝突がブラウン管に

映し出されておりました。

 

実際には激しい闘争期間は

短かったのでありますが

私ども子供も含め

学生さんたちに与えた衝撃は

そら凄まじいものがありました。

 

「常識」と言われるものが

常に盤石変わらないものではない。

でしょうか。

現在では別の分野で「常識」が

常に異常なスピードで変化を続けています。

 

ところで「学生時代」の替え歌。

 

「立て看の連なる並木で

アジビラを配った日

過ぎ去りしあの頃の思い出を辿れば

懐かしいミンの顔が一つ一つ浮かぶ

重い旗竿担いでデモったあの道

下高井戸

御茶ノ水

神田の三崎町

懐かしいあの頃

日大闘争」

 

確かこんな歌詞だったと思います。

実に時代を懐かしむには

持って来いの良くできた替え歌です。

 

実際はペギー葉山さんが歌った

「学生時代」には

明確なモデル大学がありまして

「蔦の絡まるチャペル」

は実在しております。

アイキャッチの画像がそれです。

外からはチャペルに見えませんけどね。

内部に礼拝堂があります。

 

この建物の前の広場の先に

並木道が正門まで続いておりまして

そのベンチに腰掛けて

授業が終わる

まだ「彼女」だった家内を待っていたのも

懐かしい思い出でありますよ。

 

当然その頃は

学生運動はとっくに終焉を迎え

久しかったのですが

訃報に接し懐かしく思い出すのです。

 

ご冥福をお祈りします。

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