失われた時を「埋めて」前進せよ!なのだ。

今日からしばらくは

村上春樹さんの書評で賑やかでしょうね。

 

ところで、

数十年前の今頃私は神戸にいました。

 

3月9日に自分の店を構える事は決まり

その為の研修を数週間、

神戸で受けていたのです。

フランチャイズではありません。

 

当時、私は写真関係の卸も手がける会社員。

メーカーのノルマ背負って

締め日前には

メーカーから自宅まで電話がかかってくる。

今思えば結構壮絶でした。

 

写真を焼く機械も当然売っていまして

それは当時は目が出る値段でしたね。

ご当地の中古マンションくらいかな?

その機械を買って、

自分で商売を始めることにしたのです。

 

確かに機械は売っていましたが

設置等はメーカーがやりますし

機械を操作した事はあるものの

手波は商売レベルではありません。

よって「研修」。

 

退職と同時くらいに開業。

まだ会社に籍は残したまま

好意で研修を受けさせてもらったのです。

 

当時はまだ新幹線はありませんでしたから

仕事終わってから最終便で伊丹に飛び

バスで三ノ宮まで移動しました。

そのバスの窓から見える夜の街並みが

突然私を不安にさせたのを覚えています。

 

今、立っている場所を自ら無くし

地面がない所に立てるかどうか?

そんな不安だったのでしょう。

 

「大丈夫。俺がするんだから。」

 

との自信も何処へやら。

つくづく人間は環境の動物だと思います。

視覚から思考回路がいきなり

ペシミスチックになるのですから。

 

勿論、人によるのでしょうけど。

 

当然デジタルの洗礼を受ける前に

各種の商いに手を出し今があるのですが

昨夜帰宅する車中で

町の灯りを見ていましたら

フラッシュバック。

突然それを思い出したのです。

 

「この不安はなに?」

 

色んな要素が絡み合い

トドメは昨年の震災でした。

 

会社はあるものの

設備が壊滅した今

その程をなしていません。

今立っている地面がないのです。

地面を急ぎ造成しなければいけない。

 

その不安が

「俺がやるんだから」

の自信をまた見事に吹き飛ばしています。

 

あの当時の私は

「地面」もですが

銀行から多額の融資を受けていたのですね。

そのプレッシャーも抱えつつ

夜の三ノ宮に降り立ったのです。

メーカーが手配してくれたホテルで

一人夕食をとりました。

そのホテルで数週間過ごしましたが

その間の家内の不安も相当だったでしょう。

現在子供は高校生ですから

当時は当然子供もおりません。

一人で数週間

心細かったと思います。

更に折角会社員でしたので

住金を使わぬ手はないと

新築した家のローンも「丸々と」でした。

それに輪を掛ける事業融資。

不安材料満載でしたもの。

でも思うのですよ。

応援団がいるって強いですよね。

広義で言えば銀行もそうでしたし。

 

まだ味方と応援団が

「首の皮」でいてくれる今

四の五の言ってる暇はないと

猛省しきりなのです。

 

勿論、年も年ですから

折角借金のない現在

新たな借金をこさえて商売しようとは

思いませんけどね。

今、物を店頭に並べる商いはリスク高すぎ。

 

時代ですね。

この小さな四角い箱が

「どこでもドア」ですものね。

実感してます。

 

「失われた時をもとめて」

いや

「失われた時を埋めて」

これやらないと「皮」まで落ちちゃう。

 

話変わるけど

あの小説、すごいよね。

今更ながら。

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