「保育園に落ちた」「施設に落ちた」人生の始まりと終わりを考える。

義妹が義母の面倒を見てくれています。

家族で親の面倒を見れる家庭は

本当に「稀」。

ほとんどの高齢者のいる家庭では

現実と感情の板挟みに苦しんでいるのです。

 

普段は施設のデイケアに通っていますが

お正月はお休み。

によって

この期間は全て「各家庭で」となります。

で、正月二日にして

現実が速攻戻って参りました。

 

介護度によって施設に入所出来る否かは

決まるのでありますが

まだ入所に至るまで

介護度が上がっていませんから

義母は入所には至りません。

 

しかし、介護度が上がりその「資格」?

を有したとしても

首都圏では順番待ちが長い。

いや、本当にとんでもなく長いのです。

 

そりゃ大金持ちで

高額の施設に余裕で入れる家庭は別として

「全う」にお上の指示通り

手続きを踏んだら、

それこそ何時にになるのか

何年かかるのか見当もつかないのです。

 

昨年でしたか

保育園落ちた。日本死ね。

のツィートが世間様に一石を投じ

国も動き始めた様子ですが

高齢者を抱える家庭では

お上が望むのはその逆ではないのか?

 

施設に落ちた。お前。。

そんな事を不届きながら考えてしまう。

 

デイケアに通わせるにしても

朝から用意が大変なのです。

通う者の支度だけではなく

自身の身支度、

食事まで済ませないといけない。

 

お迎えが毎日多少時間がズレますから

仕事先にも

理解してもらわなければならない。

帰りも同じです。

仕事の終わりよりも

デイケアのお帰りの方が少し早い。

 

それから戦争の様な状態が

翌朝まで続きます。

介護度が低くても一時も目が離せない。

 

確かに入浴等は済ませて頂いてますが

夕食等を食べさせ

終わりのないお話に付き合う。

それこそエンドレスです。

少しでも機嫌を損ねるとそりゃもう大変。

そりゃ人間ですもの

介護する側もたまにはキレます。

ですが結局、

放って置く訳にはいきませんから

機会を見て

「元の鞘」に収めねばなりません。

それに深夜の物音で「すわ!」

目が醒める

いや醒さなければいけない事も幾度も。

 

デイケアのない日はどうするのか。

 

天気が良いと

「出かけるのが当たり前」

と当人の頭はなっています。

 

昨日は初詣等出かけましたが

今日くらいは家でのんびりしたいもの。

しかし、

天気が幸いし

この場合

「災いして」でしょうか、

そそくさと身支度を始めていました。

 

こうなったら仕方がありません。

一族郎党寒空の下

少し距離のある公園へ出かけ

遅い昼食と相成りました。

 

それにしても

その実態を目の当たりにして

お上は一体「どうしろ」と。

 

再三申し上げております様に

戦の後の焼け野原から

理不尽な我慢を重ね勤勉で礼節を忘れず

ここまでに我が国を作り上げてくれた人々の

引き際に対する施作は

とても褒められたものではありません

 

「保育所に落ちた」

から始まり

「施設に落ちた」

 

「保活」と何活と表現すれば良いのか。

人生の始めと終わりにして

この国の国民への対応は厳しいですね。

 

私も帰ったら早速ですから

 

実感です。

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