書くか書かまいか迷いますが
「腹ふくるる」でありますから
書いちゃいます。
私の身近に少々事件が起きました。
身近に起きる事自体、
私としては「嫌」を通り越して
私自身の身の律し方に問題があるのでは?
と考えるのであります。
私は「当事者」ではありません。
大層ボカして申し上げますと
知人がネットで問題を起こした。
それについては触れませんが
その知人に「ある種のID」を貸していた方が
複数いらっしゃった。
その方たちが当然ながら
この場合あえて「迷惑」と書きますが
被った。
現在ネットではあらゆるものが
「紐付け」されていますから
「迷惑」を被った方の制約は
「あるID」のみならず多岐に及びます。
当然その方達は自身を被害者と考え
その対応に追われたのであります。
「IDを貸しただけ」と。
存じ上げている方にも相談があり
その方も懸命に対策、相談に応じられた。
でもね
私、根本的に考え方違うと思うのよ。
確かに
「ID貸してくれ」と頼む神経も疑いますが
「貸した方」の感覚のズレが大きすぎて
話にならない。
IDを貸した段階で
ネットで何が起きようと、
そのIDが使われる限り
その「本人」じゃん。
もしお相手がいたとするなら
「それ私じゃありません」
なんて言い訳通用するなんて思う方が異常。
それがお貸しになった方まで
自分も被害者と考える方がどうかしてる。
例えばですよ。
銀行でもいいや
借り入れ起こそうとしたら
必ず保証人が必要ですよね。
それも「連帯」の。
これ、万が一、
当人がデフォルト起こした時
当然ですが肩代わりしなけりゃいけません。
もっと詳しく言いますと
債権者側からですと
別に当人の支払いが滞ってなくても
保証人に請求することさえできるのです。
IDを貸す。
一見「別物」に見えますが
根っこは一緒。
それを
「困ってます」
と言われても
「そらそうでしょうね。」
としか言いようがない。
私個人的にはこれから学ぶ点は大いにありました。
ネットでは「個」を簡単に作る事ができます。
でもそれは実体の社会に裏付けされた物を持って
担保されています。
これが「前提」。
大変便利に使わせてもらっているネットではありますが、
その利便性故に感覚が麻痺し
安易に扱っているのではないか。
だって指一本の
「ポチッ」
で翌日には物が届くのですから。
でもその「ポチッ」の裏側には
あらゆるものが「紐付け」されていて
それ故である事を
けして安易に考えるべきではありません。
導入口が違うだけ。
今、私も沢山IDを持っています。
いろんな種類のね。
それが実は繋がっていて
間違うと実際の生活にも影響が出る。
季節に似合わぬ誠に怖い話ですな。
アイキャッチは一昨日の熊本市の深い霧。