年を取るに従い
時間が短くなる。
良く言われる事でありますが
実は我が身で身をもって
日々感じているのであります。
格段に一日が短い。
何をしたのかわらない内に
一日が終わっている。
逆に何もしないから
短く感じるのかも知れません。
気がつけば11月もそろそろ後半戦。
来月は師走です。
これまた良く言われている事ではありますが
子供の頃は経験値がなく
その興味と共に
インプットの連続である。
故に思考回路がフル回転して
時間が充実して長く感じる。
年を取ると
経験値が豊富な故
思考する事なく事例を受け止め
何事もなかった様に時間が
経過して行く。
「虚無的」な時間が多いのでしょうか。
思考が充実していないとか。
肉体的には「心拍数」も
関係している様な気もします。
いずれにしても
経験的に自分で会社持ってから
時間的には「アッ」と言う間に感じます。
振り返れば、もう相当な年月が経っている
と言うのに。
ですから「最近」の概念が
以前とは大きく違います。
私に取って「最近」とは数ヶ月前
いや数年前を指している事も多いのです。
子供の頃は「最近」と言えば
「昨日?一昨日?」
のレベルでしたから
その違いには驚かされます。
その代わりと言ってはおかしいですが
昔の事は昨日の事の様に
蘇らせる事ができます。
子供の頃の事など
鮮明に思い出す事が可能です。
途中が抜けている。
正確に言いますと
思い出す事は可能です。
しかし、
なぜかその間の時間が希薄なのです。
そら、仕事頑張りました。
カードのランクが次々と上がるくらい。
必死でした。
でもその当時
またその後の余裕をこいた時期の
その場の楽しかった思い出は薄いのです。
そんな自分の感性に
大いに不満なのであります。
感性と申しますか
「老化」ですかね。
でもね、
たまの上京、
家族で連れ立っての行動。
その時間はとても充足感があります。
つまりは元に戻って
新鮮な驚き、
インプットがあると思考が回転を始める。
故に常に新しい事に自分を
巡り会わせねばいけない。
篭っていては時間を短めるばかり。
どころか
思考もやがて停止してしまうのではないかと
危惧するのです。
坂口安吾さんの「足の踏み場」もない
散らかった部屋での写真を思い出しました。
篭りながらも頭の中は
フル回転だったのでしょうね。
実に不公平。
と、言いますか
若い頃勉強しなかった自分を悔やみます。
物事を組み立てて考える
材料があまりに乏しすぎる。