「怒り」の感情は何も生まない。同じ土俵にいる自分に気がつけ。

誠に個人的な事で申し訳ない。

 

一晩寝て考えると

人生経験豊か、

色々な修羅場をくぐって来た人たちや

事象が自分にどんな影響を与えるか

考えている人の態度は

とても参考になりました。

 

その方たちの

意見は深いものがあり

また私との交わりで

それにようやく気がつき始めました。

 

まず「怒り」ですが

これは同じ土俵に立つからであり

それから抜け出さない限り

「同じ穴のムジナ」

ですね。

ここは一つ

距離を置いて考えるとします。

 

まず「怒った」時点で

相手の術中にはまっていますね。

危なく引き込まれるところでした。

 

私には旧友がおりまして

その中でもこの手の話には

変に直感めいたものを感じさせ、

それが結構当たるから不思議です。

彼は今までの経緯も知っています。

それで昨日の手紙の事を話しますと

いきなりでした。

 

「手紙?」

「うん、そう」

 

内容はまだ話していない内から

 

「そいつはおかしい奴だぞ

まともに相手するな。」

 

書いてあった内容を話しますと

「道は二つ。

今までの事はきっぱり無いものとして

これから先関わらないか、

もう一つは

徹底して追い込むか

どちらかだ。」

 

もちろん生きていますと

嫌な事は多い。

誰しもです。

そこで周りにいる人の私に対する接し方を

振り返ってみます。

 

私の好きな先生がいます。

女性ですが。

彼女は常に同じ。

何が同じと言いますと

「対応」がですね。

当然先生も社会性をお持ちですから

意にそぐわない

また嫌な事も沢山おありでしょう。

しかし、

いつも私に接して下さる態度は一緒。

今ごろ気がつきました。

 

彼女は常に考えている。

何が大事なのかブレていない。

これは自己を守る上でも、

周りにいる人にもとても大事な事。

 

もう一人

心理学専門の知人がおりますが

彼は

「これは自分のやるべき事ではない。」

と断じた時の処し方は

一切接点を断つ。

速攻、誰にも告げずに。

 

私が鈍かった。

それに気がつくまで何年かかった事か。

 

「怒り」に任せ

同じ土俵で争っても

何も生まない。

 

勝っても負けても

心に「後味」の悪さを残すでしょう。

一つ上の「高見」から自分を見つめ直す。

断捨離は何も物だけに限った事では

ないのです。

 

この年になっても

まだ成長は続けなければいけませんね。

 

深く反省。

 

「怒り」は起こった事象についてであり

それを先に持ち越すには

意味はありませんね。

 

ここは一つ悠然と参りましょうか。

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