母の財布から思い出される我が家の暗黒の歴史。その9

彼を自己破産させる事になりましたが

実際、もう周りの目を

気にする状態ではありませんでした。

着手してもらい

必要な書類を整え

彼が弁護士事務所に呼ばれた日に私も出向きました。

いきなり現れた私に驚いていましたが

久しぶりに見る彼は

以前と変わらない印象で何か釈然としません。

盛んに詫びてはいましたが

私は内容が知りたくて行っただけですので

挨拶もそこそこに軽く受け流し

とにかく負債を書き出した書類に目を通したのです。

見てビックリ。

「なにこれ!?」

驚きの件数と金額でした。

あれほど騒動したのに

この残債の山は何なのか。

渦中に発生したものも沢山。

やはり予感は的中していました。

当然

「これは一体どういう事?」

詰め寄りますと

あろう事か逆ギレされました。

「部外者が!」

の様に。

今までこの件については

直接話しをした事もなかったですし

第一、事が起こってから彼とは会っていません。

事情も流れも知らないとでも思ったのでしょう。

ましては私は年下ですから

余計に癇に障ったのかも知れません。

流石に私もキレまして

「息子の私がしでかした事ならまだわかる。」

「なんであなたの為にうちが!」

私も興奮していたのでしょう。

そこまで言うのが精一杯でした。

それを聞き彼も一応おとなしくはなりました。

が、本当に反省していない事は

後年実証されます。

それから粛々と

また事務的に処理は進み

免責の決定が下されるまで

さほど時間はかかりませんでした。

その弁護士事務所は

その手の仕事に慣れておりましたから。

それに債権者であるマチ金さんも

その手には慣れていまして

超高金利の時代でしたから

とっくに元金は回収していたのかも知れません。

しかし、なんの因果か

後年、この弁護士事務所と

私が別件で渡り合う事になろうとは

いや本当に世間は狭い。

それはさて置き

書類に目を通していて

気がついた事がありました。

何度見ても

我が家と叔父、私の文字はどこにもない。

「ふ〜ん やっぱりね。」

こいつは我々の事は一顧だにしていない。

それは確信されました。

でも考えようによっては

免責から外れているのですから

後々彼から

誠意を見せてもらう事は可能ですよね。

特に叔父一家に対しては

このままでは終わらせられないとの

思いは強くありました。

長い時間を浪費し、

他人の金を家を消耗させ

とんでもなく心労を強いた事件は

一応、終わりを見せたかに見えました。

長い長い道のりでした。

一時休戦と言いますか

一時ですが平和な期間がありました

その間に私は

勤めた期間が利用条件を満たしていたので

住宅金融公庫から融資を受けて家を建てました。

さらに仕事も独立する為の準備も終わっていたので

独立も果たし店舗を持ったのです。

もちろん親の援助は全く期待できませんし

出来ない事は分かっていましたので

気持ち的に少しは寂しさも感じましたけどね。

家内には

「申し訳ない」と素直に頭を下げました。

全て自分でやるのはが当たり前なんですけど

家建てる時くらいは

「これ気持ちだけど」

とか

言って欲しいじゃありませんか。

それはともかく

実は彼女たちにはまだ隠し事があったのです。

それはずっと後年になってから

発覚するのですが

これまた恥っさらしも恥っさらし。

「全然変わってないじゃん!」

これには本気で呆れました。

「バカじゃない?」

ではなく

本当の「馬鹿」。

長く生きておりますと

色々ありましたが

今回はこの一件だけに焦点を絞り

時空を飛ばして書かせてもらいます。

つづく。

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