「張り子の虎」それは「私」です。

昨日に引き続き「総括」。

「実害」編。

「良い人」

と思われたい。

「強い人」

と見られたい。

「すごい人」

と認められたい。

この「虚栄」が中身のない

姑息な「私」の実像。

実は

「良い人」ではなく

ただの自己中を言葉巧みに隠し

草食に見せていた。

本心を隠しながら。

本意ではない事も

嫌がるそぶりを押し殺して、

優しく物分かりの良い人「だった」。

事業にしても

新しい事業を始める前には

心細く逃げ出したい自分がいた。

私を信じてついて来ている人の手前

そんなそぶりなど見せられないから。

思い返せば

「確信」を持てる根拠がある訳でもなかった。

成功した事も確かにあった。

結果から見れば。

しかし、結果が出るとそれはあらかじめ

「予定されていた」風を装った。

勿論懸命に働いた。

それは決して結果が

約束されていたものではなかった。

緻密な計算もしていなかった。

良く言えば

「がむしゃら」

フツーに言えば

「テキトー」

なものであった。

思いがけず上手く行った事業に

尾ひれをつけて

「強い」自分を作って行った。

その自分を「自分」が信じた。

そこから間違いが始まっていた。

予定していた仕事が上手く行かない。

それは仕事に問題があるのではない。

自分自身に問題がある事に

遅まきながら気がついた。

今の私に何が欠け何が必要なのか。

「自分」に嘘はつかない。

昨日書いたこれである。

他人からすれば

「当たり前じゃん」

が全然できていなかった。

「摩擦」を恐れた時間が長く

「自分」がいなかった。

言い古された言葉ではあるが

「何事も基礎が大事」

今からレンガを積み上げて

どこまで行けるか。

今、瀬戸際である。

交渉事が控えている。

どうすれば上手く切り抜けられるか

そればかり考えていた自分がいた。

上手く切り抜けられなくても

良いじゃないか。

本心から出る言葉に裏はないのであるから。

後は相手が判断する。

それで良いじゃないか。

どう思われ様が。

「良い人」になって

家族や関係する人に

「我慢」を強いる事はやめよう。

なんと言う事だ。

今まで

周りに「我慢」を強いて

私が「良い人」になっていたのだ。

人生の後半戦に入って気がつくなんて。

これを誰が読んでいるのかは知らない。

「馬鹿だな」

思われても構わない。

素直に吐露できる場所。

それを与えられただけでも幸いである。

これが今の「私」である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です