相手の顔色伺っていた無駄な人生の時間を嘆く。

世間にはこれだけの人がいて

好むと好まざるとの関わらず

仕事等で接触を持たなければならない。

人間でそれぞれが当然個性を持っており

その表現方法、考え方が違うのだから

「好ましい人」

「苦手な人」

が出てくるのは当たり前。

それをイチイチ気にする自分がいた。

今まではね。

それが段々とではあるが

気にしなくなって来つつある。

「相手がどう思っているのか」

が大変気になる自分がいた。

それは長い間

そう

子供の頃から強権的な母親の

ご機嫌を伺っていた頃から

始まっていたのかも知れない。

怒られぬ様に

怒られぬ様に

何をするにも

直接的な表現は避けていた気がする。

それがいい年になって

やっと気がついた。

どう思われ様が

あちら様の勝手。

どうせ私の評価は

相手の中では決まっているのでしょ。

だからどうなの。

私が相手を気にすると言う行為は

どうにか相手に気に入られたいとの

卑しい心根から来るものであると

やっと気がついた。

いいじゃない。

相手にどう思われようが。

稀に私が対応に困る様な発言をする人がいる。

その様な発言をすることから察するに

自分中心にものを考え、

人の目も気にしない人であるから

出来る発言なのである。

見回せばそちら側の人が多い。

だったら

こちらも遠慮なく

自分を出すことに何の躊躇も要ろうか。

自分でも

「こんな事言っていいのかな?」

と今まで遠慮がちに対応していても

どうせ相手の耳には入りもしない。

じゃどうするか。

自分でもビックリの

「こんな事言っていいのか!」

を素直にぶつけりゃいいのよ。

と最近気がついた。

じゃなけりゃ

そんな相手の心に響くはずもないし

本気でこちらの事を考えてもくれない。

苦手にされてもいいじゃない。

「あの人は〜」

と思われてもいいじゃない。

周りの皆さんに可もなく不可もなく

良い人と思われようとしていた

自分がとんでもなく卑しい。

陰で

「あの人は〜」

とは良く聞く事である。

他人様ですけどね。

その

「あの人は〜」

と噂される個性の強い私に

これからなるのよ。

厚かましく。

勿論、私持ってる常識を以てね。

人様から後ろ指、指される様な

常識など持っちゃいないとの

自信はありますから。

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