熊本は文豪、夏目漱石のゆかりの地であるそうな。
「ゆかり」と言っても今で言う「転勤」なのだが。
転勤の地でも文筆活動は行っている。
代表的な作品としては
「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。」
で始まる草枕。
好きな文章である。
名文である。
狭い土地に住まうと人間関係も狭く
どこかで繋がってしまう。
良きにつけ悪しきにつけ。
そこで一度評価をつけられると
尾ひれがついてそれから先、
それを引きづったまま暮らす事と相成る。
おおっぴらに「違」を唱え
その理由をつまびらかにしお相手を論破すると
その人の評価はそれで決定する事が多い。
間違えると日常生活でも孤立し
他の徒党を組んだ、セクトから常に白い目で見られる事を
覚悟しなければならない。
では
「情に棹させば」どうなるか。
この地では「断る」事に大変腐心しなければならない。
理由は簡単である。
狭い土地故
人間関係の繋がりが密であり
それが大変行い難い環境なのは先に述べた。
故に引き受けざるを得ない事が大変多い。
特に「長年の友人関係」は要注意である。
私の場合はまことに特殊な事例であるが
それができなかった為に、
家はおろか全財産失った。
おまけにその影響が身体に及び
今だに病院には定期的に行かねばならぬ。
その余波で今だに苦労している。
「自分一人なら」ではであるが
家族がいるのであり
その責任と慙愧、これから先の処し方で苦悩するのである。
「人の目なぞ関係ないよ。自分は自分。」
と言える自己確立と強さを持っていなかった
自身が悪いと言えば悪い。
いや確実に悪いのである。
まことに
「意地を通せば窮屈だ。」
と私の場合見事に繋がり
「とかくこの世は住みにくい」
と自身の内で完結するのである。
当然であろうが
それは当地に限った事ではないと思う。
地方地方で特色があろう。
当地の気質を表す言葉に
「もっこす」
と言う単語がある。
長年この地に住んでいるが納得出来る説明、
またその生き様の人にはお目にかかった事はない。
意見を曲げない?
強情?
色々な説明があるが
単語まであるくらいであるが
そんな気骨のある特色を持った地なのか
最近疑問に思う日々である。
経験的に言えば
自身でそう主張される人ほど
「そうではない」逆の方が多い印象である。
当然単語として今でも残っているのであるから
何処かにはいらっしゃると思う。
是非お目にかかりたいものである。
話は変わるが
先の震災で熊本城が被災した。
歴史を振り返れば
何度目かの被災であるが
近年では西南の役で焼失している。
完全にである。
故に今あるお城は昭和に入ってからの新築である。
他にも昔ながらの貴重な櫓は数個あったが
主役である天守閣を持つお城は
鉄筋コンクリートであった。
震災からまだ日が浅い昨今、
そのお城の再建計画が盛んに行われている。
個人的な希望を述べさせて頂けば
今度は当時の建築様式により近いものに則り
是非古を彷彿とさせる木造で
その威容を県民のシンボルならしめて頂きたいと
切に願う次第である。
個人的には現存する「本物」の櫓のみ残し
「城址」とする方が自然な気がするのだが。
画像は熊本が誇る「くまモン」のおしぼり。
そう言えば
先日書いた外為のポンド。
ショートで大当たりだった様子。
金と度胸があったらならばなぁ。
我が身を嘆きますw