当時の大学はおおらかでした。
どこの大学も。
学年は上でしたが早稲田の1文に従兄弟がおりました。
彼はひょっこり私のアパートに現れるのですが
色々話している内に、
どうしても受けたくなった授業がありました。
伝えた所
「来ればいいじゃん」
「ほんじゃ」
と、言う事でこちらの履修の時間と
たまたま重なっていませんでしたから
馬場までダッシュ。
一年くらい通いましたかねぇ。
従兄弟の隣で仲良く授業受けました。
出席カードがまわって来ますが
書きましたよ。
学科、学年、学籍番号。
本物を。
ちなみに早稲田にはその学科はありません。
でも通っている間、何も問題は起こりませんでした。
先生も「聴きたきゃ聴け」
だったのでしょう。
当然先生から当てられた事もありますが
真面目に答えてました。
今思えばなんとも不思議な光景ですね。
本業?の自分の学科は大変でした。
一年生の時から
専門の語学の必修が1つ。
選択が1つ。
その上教養課程の必修の英語。
第二外国語で選択したドイツ語。
さらに専門課程では時間が足らないとの事で
それぞれの科目の概論が既に入ってました。
これで一般教養の取りこぼしが出たら
専門課程で大事だったでしょうね。
なんとか無事に、
いや、これがフツーなんでしょうが
一般教養課程が終わり専門課程に入って行ったのです。
ここからが大変でした。
より細分化され、
一つの科目の人数が少なくなりました。
恵まれてと言えば恵まれていたのでしょう。
あの学生数に対しての先生の数。
ただ、人数が少ないので毎日が「特講」並み。
当てられる数も半端ではありませんでしたし
怠っていると厳しく叱責されました。
大学はゆっくり出来ると思っていましたが
とんでもなかったですね。
さらにとんでもなかったのは卒論でした。