大学時代 アウトソーシングを学ぶ。

卒論

学士論文。

ですから真面目に書かなくてはいけません。

当たり前ですね。

うちの学科では毎年、
他の単位は足りているのに
卒論で落とされ留年。

と、言う方が何人かいらっしゃいました。
厚さ3〜4cm書いてあったものもありました。

で、概ね3年の終盤からおぼろげながら始めます。
4年になった時、タイトルの審査が終わると
指導教官に相談しながら書いて行きます。

最初に目をつけた論題は爆笑されました。

範囲が広すぎる。
おまえ、この学校に何年いる気だ?

とか。

で、絞り込んで
さらに絞り込んで

ようやくOK。

「資料集め」が大変とはこの時実感しましたね。
一応3年の時、めぼしい物は手元に。
と思っていたのですが、
いざ下書き始めると全然足らない。

神保町に駆け込む毎日でした。

そうこうしてる内に
時間が絶対足らない事に気がつきます。

そこで、ハタとあるアイデアが。

「なんだ英訳使えばいいんじゃん。」

これ反則ですよ。

マジで。

でも時間は刻々と過ぎて行く。

使いましたね。

禁じ手を。

ほんで速攻神保町。

ところが、それでも時間が足らない事に気がつきます。

なんでかって?

日本語訳しなきゃいけなのですね。

慌てました。

そこでまたハタとアイデアが。

彼女は英文科。

訳して貰えばいいじゃん。

で、頼みました。

勿論彼女は専門用語はわかりませんから
そこだけ原文で。

下書きが書きあがったのが
確か締め切りの4日前。

今度は清書が間に合いません。

早稲田、理科大、青山 の諸氏に
分担決めてお願いしました。

ここは持ちつ持たれつですね。

今流で言えば

「アウトソーシング」ですね。

最後の参考文献の後書きに
清書は◯◯大の誰それに協力をお願いした。
と但し書きを入れれば良かったのです。

チャプター毎に筆跡が変わりますから
読みにくかったでしょうね。

今はデーターでしょうから
隔世の感があります。

当時は手書きです。
万年筆の。

3日ほど徹夜が続きました。
眠くならないアンプルを3本
丼に入れて一気飲みしながら。

終わった時は机から立つ時
本当にふらつきました。

卒論の締め切り時間は厳密です。

提出が終わり帰りの中央線には座れました。
お尻の下の暖房が気持ち良かった。

隣の友人が話してますが
何せ徹夜明けですから
初めて電車で眠ってしまっていました。

あれほど「うたた寝」が気持ちの良いものだとは。

で、その審査の面接が。

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