中学校は楽しかった。
他の小学校から沢山のガキが集まりそりゃ賑やかでしたよ。
でもなぜか
同じ中学に来ていない子もいる事に気がつきました。
ばったり駅付近で羽ペンと剣の校章つけた
元級友に会ったりして。
「そう言や四谷がどうの大塚がどうの言ってたな。」
と当時は駅名と思っていましたが違っていたのですね。
それはともかく、
学校はワンダーランドでした。
他の小学校から来た連中の男女共に過激分子から
心ときめく女子まで、そりゃ刺激的な毎日でした。
じきにそれが普通になるのですが。
そんな折、小学校の頃、
担任から強烈なイジメを受けていた子の母上が
また我が家を訪問されたのです。
今回は「お互いの子を一緒の塾に通わせないか?」でした。
英語だけですが母親はすぐにOK。
私の意向など挟む余地はありません。
否応もなく私は千駄ヶ谷の津田スクールオブビジネスに
毎週土曜日通うことになったのです。
地元の街から行事がない限り
あまり出たことのない私にとって
電車での毎週の通塾は刺激的でした。
超満員電車も初めてでしたし、
各駅毎に乗ってくる人たちの種族の違いも面白かった。
塾はさらに刺激的でした。
都内の色々な学校から来てるのですから。
他の連中もそうらしく、
すぐにみんな仲良くなったのです。
この時間が子どもであっても
私の世界観を広げてくれました。
遠くは日野から来てる子には下ネタ。
慶応の子にはカセットデッキをいかに安く作るか。
よく帰りに二人で秋葉原まで行って
部品を買ったりしていました。
細かな部品が分類してあるところから
ザルに必要な部品を入れて行くのですが
「なんで解るの?」
と初めて尽くしでしたよ。
今でも小さな店がひしめき合う部品屋の
裸電球に照らされた光景は懐かしく思い出されます。
彼はたまに制服で来るのですが
襟のペンとペンの交わる校章を見たとき
「ああ、違う世界もあるんだな」
と実感したものです。