中学 その2

津田スクールオブビジネスの一年の時の先生は、
はっきり言って、
いや、はっきり言わなくても

「おばあちゃん」

でした。

名前は失念しましたが「◯◯先生」とは呼ばず
「ミセス◯◯」と呼んでいました。

その「おばあちゃん」が凄かった。

まず発音がトンデモなく綺麗。

「学校の英語の先生の発音はなんなの?」

と言いたくなる位見事でした。

と言うか「ガイジン」が
まだ周りにはそんなにいませんでしたから
「本場」の英語と生で対峙した事がなかったし
英語は映画の世界でしたから。

そして実にクール。

まず怒らない。

質問を次々当てて来るのですが予習しておらず
答えられなくても淡々と次の生徒を指名して行きます。

そして

「清流を見るが如く」

の解説をされました。

私の場合それで解った「気」になったから不思議です。

実際の所、
時折あるテストはザンネンでしたけどね。

2時間の授業でしたが、
学校と同じく授業前、休み時間、授業後、
そりゃ賑やかでした。

今で言う
「イジられる」
早稲田中の子とかいたりして。

学校と塾と全く違う環境なれど
両方とも私にとっては住み心地の良い所でした。

塾の特に仲の良いグループで
夏は当時まだあった東京体育館のプールに
翌日の日曜日に泳ぎに行ったりしていたのです。

そして塾が
アウエイがホームになった様な気になった2年生の時、
ひょんな事から塾が学校とつながりました。

もちろん個人的な意味ですが。

学校は2年生にもなると
入学当時の「びっくりポン」が「フツー」になっており、
学級から学校全般に生活のフィールドが広がります。

生徒会とか学校運営に関わる事に多少従事させられますが
3年が入試の関係上2年生が中心となっていました。

私も二つでしたかお務めをさせられていました。
クラブ活動の他にです。

その頃になりますと上級生にも知人が出来ており、
また逆に私は知らなくても
相手が私の事を知っている上級生がいたりします。

その中でも今でも忘れ得ぬ二人の女性先輩がおりました。

その内の一人とは、この年になっても、
後述しますが
東京を離れてもう数十年経った今でも繋がっており
昨夜も電話で話したばかりです。

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