震災から2年目。
2年前の昨日14日夜は前震
そして明日
つか今晩遅く本震が発生した。
震源地で味わうそれは
「あ? 嘘でしょ!」
でしかない。
自分も揺れながら
ガラガラバタンバタンと
家の中が全部ひっくり返って行くのを
目の前で見るのだから。
で、後からゾッとする。
近隣の家で潰れたところもあったから。
もしウチがそうだったらと
実際、後から背筋が寒くなった。
まさかの2度。
普通はあれだけの揺れが1発来たら
「もう後は余震だけよね」
と誰しも思う。
まさに稀有な体験をさせてもらった。
その後もテレビの世界でしか見た事のない
「難民」めいた
生活を強いられるとは
人間長くやってると
色んな事を経験するものである。
ところで震災日が近ずくと
地元の放送局は言うに及ばず
天下のNHKまでも現地入りして
特集まで組んでくれる。
その肝が
「復興のシンボル」
と合言葉の様に使われているのが
「熊本城の再建」
である。
私はこれについて大層な疑問を持っている。
何故、熊本城を再建するのが
復興のバロメーターなのか?
それには各種の問題を解決していない現状を
踏まえると疑問として当然湧くのである。
長年、熊本市に住んでいるが
お城に入ったことは実は3度しかない。
初めて入ったのは
こちらに高校の2年生の時
転校して来て市内探訪の目玉。
その時までは本物の城だと思っていた。
2度目は遥々箱根の山を越して来た
家内に市内を案内した時。
そして最後は子供がまだ幼児の頃
「遠出もなんだし」
と近場の観光地として
連れて行った時。
その度毎に違和感は持っていた。
何しろ建物が鉄筋だったのである。
つまり私の感覚では
京都奈良には
それこそ掃いて捨てるほどある様な
「歴史的建造物」
とは似ても似つかぬもの。
との印象が焼き付いていたのである。
確かに調べると一度消失している。
先の大戦ではない。
それ以前に消失していたのだ。
戦後
近代的な材料で持って再現したのである。
当時のその感覚も如何なものかと思う。
日本中に「城址」は多い。
確かにそこには天守閣は既にない。
しかし残された独特の石垣等
それはそれで風情を感じる。
特に熊本城の場合
その石垣に特徴があり
それだけでも十分な価値を持っていたと
私は考える。
そこに近代技術を持って
確かに考証はしたとは言え
「そっくりさん」を創った。
それが壊れたからと言って
また「そっくりさん」を再建する。
それが復興のシンボルなのであろうか。
歴史は歴史である。
それを「再建」とはチトおかしいのではないか。
それだったら
今回の震災を銘して
熊本タワーとか別の建造物でも
良いのではないか。
何故ならこの震災も歴史なのであるから。
ところで何故私がこの標語にこだわるのか。
実際、ここに住まう住人の復興が
まだ遅々として進んでいない現状もあるからだ。
道路のウネリもひどいところがある。
まだまだ土木に費やすべきところは多い。
特にこの地では高齢化が進んでいる。
その高齢者のケアも含め
震災関連の医療費等様々な
援助補助が打ち切られた。
災害弱者にしわ寄せが来ている現状がある。
いまだに仮設に住む方も
大凡四万人ほどいらっしゃる。
まだまだ
言い出したらキリがない程
やらなくてはいけない事が山の様にある。
はずだ。
それらを元に戻すのが「復興」であろう。
ところが熊本城を再建する事が
シンボリックに宣布され
その完成時期やかかる費用まで
ご丁寧にマスコミで知らせて下さる。
大凡、六百数十億円とプラス別途費用。
大天守は来年秋完成、
一般公開は再来年。
石垣一個に至るまでの完成は30年先。
と金額と明確なビジョンが提示されている。
「いや違うだろ。それだけの金使うのなら」
と疑問が湧くのが自然だと思う。
住人生活の復興の完成の時期は示されていない。
なんかやってる事が嘘っぽくて嫌なのよね。
以前書いた「熊本地震17年6月29日」も
一読頂けたら幸い。