「異邦人」を久しぶりに 2

この作品が世に出たのは1942年だったと記憶していますが
時のヨーロッパはそれこそ「とんでもない」時代背景。
だったはず。
フランスも。

にもかかわらず読まれ絶賛され
後のノーベル賞の原動力になったのは確かです。

この手の作品が当時一般に読まれ
支持を得る。
これがなかなか理解できない。
特にMade in Japanの私としては。

話は少し逸れますが
この作品のテーマは不条理だと言われていますが
この「不条理」なるものがなかなか理解できない。

その対義語がなんであるかはさておき
人間の根源的な心の動き
人間本来の欲望と現実の乖離からくる心の葛藤。
自分なりにそれを明文化して整合性を見出し
落とし所に落とす。

それを「個」から「全体」に広げて
原因からその将来まで考える。

そう
「哲学」
に分類される一分野。

この「哲学」なる言葉
口語体では一般に良く使われますが
本来の使い方を理解している人は
ほぼ口語体では使っていないのではないか?
と思われます。

この分野に於いては
ドイツとフランスは結構著名人の量産国であります。

どこにその源があるのか考えるのですよ。

たまにですけど。


今から百数十年ほど前
我が国で初めて「国民」が生まれたあの出来事。
そう明治維新でありますけど
時の政府の急務は法整備だったのですね。

何しろこの日本列島にいる人が
全員「国民」になっちゃったのですから。

もちろん我が国の歴史を遡っても
「国民」
一般大衆を対象とした「法」はなかった。
で、創るしかない。

その時当時の政府が範として選んだのが
ご存知「ドイツ法」であります。

「法」の概念は色々ありますが
それが成立するためには
その国、地域に哲学と宗教の概念が
定着
いや、なければ成立しないと言われています。

何しろその国にいる人たちの行いを
ジャッジしなければいけませんから
その国民に根付いた概念がなければ
到底国民は「法」を尊重、守はずがない。

その点ではドイツとフランスはまさにコストコ。
ただ「品揃え」がかなり異なりますが。


おっともうこんな時間。
仕事があるので寝なければいけない。
この続きは次回に。
まだ書き足りないので。

休みの日は忙しいのよ。

とほほ











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