「ヒトラーの忘れ物」から「火垂るの墓」を連想する。あの鉄板は不動ですな。

映画化されて

広く知られるところとなりましたが

何しろ胸が締め付けられます。

 

人間はかくも残酷

いや冷淡

いやいや本能むき出しに

なれるものかと。

 

邦題「ヒトラーの忘れ物」は

 

敗戦後の少年達を待ち受ける運命。

旧ドイツ陸軍が埋めた地雷の除去を

捕虜として扱われている

ドイツの少年たちがやらされる物語。

それを管理する連合国の担当者の葛藤。

 

が、主なテーマ。

なんだけどね

少年たちは訓練を受けた工兵隊ではないから

当然事故も起こります。

 

何より少年であるがゆえの

望郷の念。

少年ではなくとも望郷の念は当然ですな。

 

我が国でもシベリアで随分と

過酷な試練と望郷の念と戦った方が大勢。

それこそ沢山の人がいらっしゃるのですが

みなさんその当時の事を

余りお口にされなかった。

 

話戻して

管理する側の兵士。

 

これがまた私には戦争体験がありませんから

実感として湧かないのですが

国同士の争い。

それが終結しても

相手の国の兵士への想いは変わらない。

それがチト難しいところであります。

 

歴史を紐解けば

旧ドイツがやらかしたことが

欧州ではよっぽど酷かったとみえ

それは多分我々の想像を

超えるものだったのでしょう。

ですから始めは相手が子供とて

容赦などありません。

 

それについては

旧満州に取り残された我が国の民間人。

その方達が旧ソ連軍から受けた仕打ちも

かなりだったと聞き及んでおりますが

それについても

みなさん、口にされることは

余りなかった。

先のことも合わせて

これも国民性なのでしょうかねぇ。

 

話を欧州に戻して

例えば

理性であるとか

例えば

大人の了見であるとか

例えば

子供を見る目であるとか

それらのものが無くなるくらいの憎悪。

それを子供に向ける程なのか。

平和ボケした私には理解し難い部分であります。

そこで直接戦闘とは無関係の

民間人は戦後

 

特に国が負けた後はどうなるのかを

 

考えますと

結局、国民が物質的に

また諸々の想いを含めて

全て負わなければいけなくなるのです。

 

国家レベルで申しますと

賠償金も税金ですし

庶民レベルでは困窮した生活を

耐え忍ばねばならぬのも国民であります。

 

その点におきましては

「生きる」

平時化においても

生きることがとても困難を極める生活において

人々の心は荒ぶのでありますよ。

 

それを見事に

と言いますか

映像化したのがジブリ作品の

 

火垂るの墓。

 

故、野坂昭之さんの小説を

アニメ化したものですね。

今では小説よりも

このアニメの方が有名でありますし

題名を聞いて思い浮かべる方が

多いのでありましょう。

文字で読むよりは

よっぽど、言葉は悪いですが

酷い。

 

同国人同士

それも国内において

あれ程の事が日常に起きていた歴史を

我が国は持っております。

 

嘘だと思うでしょ?

今は「ホームレス」と横文字になってるけど

私が本当に小さかった頃

そら幼児でしたから意味もなく

怖がったのですが

上野の地下道にはいらっしゃいましたよ。

 

とか

浅草の初詣の時には

あの門の所に

白衣を着てアコーディオンを弾く

傷痍軍人さんたち。

「あれは似非だから」

と言う父の言葉を背中に

「おじさんが南方で戦死してるから」

と小銭を入れる母がおりました。

 

国同士の争いの後始末を

国民がする。

当たり前と言えば当たり前なのです。

 

なぜなら

時の政府を選んだのも国民なのですから。

 

しかし庶民目線で見たとき

「はいわかりました」

と、とても言えるものではありません。

特に年少者にそのしわ寄せが行く。

なんとも理不尽であります。

 

しかしあのジブリ作品は

なんと申しますか

二度と観たくない鉄板ですな。

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