「習慣」は「人格」となる。

習慣化された長い日常は
細部に渡って人間を支配します。

 

それは日頃の立ち居振る舞い。

結構それは目立つ、

いや、人の印象を左右するものです。

 

いくら高価な装いの方であっても

食事を共にした時

例えば、まだ咀嚼中なのに

そのまま話し出すとか

食べるのに口を開けたままとか。

高価な装いがいきなり

その価値を下げることだって

珍しくはありません。

 

その逆もあります。

世に言うマナー違反でも

食べることより

会話の内容に夢中になり

真剣にこちらが聞き入ってしう。

そんな御仁もいらっしゃいますが

そんな場合は

聞き手の私に取ってもマナーなぞ

どこかに飛んで

周りにどんな目で見られていようが

誠に気にならない御仁も確かに実在

いえ、極近所においでです。

 

その違いは何か。

 

考え→行動→習慣

それが意識しなくとも

いえ、その方にとっては

極当たり前

日常なのです。

 

では何故その行為を他人としても

不快とならないのか。

それは習慣化が育んだ

人格

 

が形成されており

それをこちらが正直に認めた結果なのです。

 

他のことには目をつむる。

いや、見えなくなる。

そんな魅力的な人格を

実際持ちの方も多数おいでです。

 

自分との生活習慣、衛生観念の違い。

服飾のセンス

そんなものはどうでも良い。

 

ではそんな方は特別なのか。

 

決してそんな事はありません。

一概に言える事は

そんな方たちは考え方感じ方に

際立ったものを持っている。

いやそう感じる私の方が

実はおかしいのです。

 

人間100人もいれば

そら全員が右を向く事などありません。

単純に、

私が右を向いている多数派なのです。

ですから右を向いていない

少数の方がとても特別な存在に見える。

これには繰り返しになりますが

「考える」行為なしに

世間に迎合して来た私に問題があるのです。

 

これも繰り返しになりますが

人間が人間たる所以

「考える」ことを放棄し

そして考えもなく行動する。

その結果

それが習慣化されて

そうではない人が奇異に見える。

もしくは「素晴らしく」見える。

それは自分が

「凡庸な人格」の持ち主だから。

 

と感じ始めて幾星霜なのですが

難しくはありますが

年老いた現在からでも意識して行えば

叶わないものではありません。

 

1つ秘訣を思いつきました。

「すぐに反応しない。」

ワンテンポ少しの時間考え

それから反応する癖をつける。

これだけでも随分違います。

 

実際、家内に叱られる瞬間に

ワンテンポずらして反応しますと

言い訳がましい言葉は失せ

言葉の攻撃を真正面から

受けることが可能となり

私なりの正論で

返す事を可能ならしめたのです。

 

それはともかく

話を戻しますが

 

実はこれを愚直に行って来た人は

 

歴史を紐解いても

近代日本においても

更に現在の周りを見ても

実は世の中を引っ張って来たし進行形でもある。

そのことに気がつかされます。

もしくは人も羨む生活をしている。

 

羨む生活とは

 

断じて

物理的な世界だけではありません。

 

流石に私も人間の端くれでありまして

他人様から人間として刮目すべき話を聞きますと

やはり羨望の眼差しになってしまうのですよ。

 

そして形成された「人格」は

これまた次の最も重要なものに

繋がって行きます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です