SNSの功罪。確かに便利であるが違う方法を模索すべきかもしれない。

SNSは確かに便利である。

 

一気に人脈が広がる。

それは否定的な要素もあるが

肯定的な意見が大方を占めるだろう。

 

例えば商いにおいては

マーケットが広がり集客に直結する。

ECの世界では勿論だが

資本を持たぬ個人においては

それは強力なツールとなる。

 

液晶の画面をそれなりに整える、

それなりの肩書き、文章を書き込めば

後は勝手に読み手が

「想像の翼」を広げ

それは確信として書き手を信じてしまう。

 

Facebookに代表される大手のSNSは

次から次へと間口を広げ

導入を容易にしており

その規模も拡大の一途をたどっている。

 

元はと言えば

限られた世界を想定したツールであったはず。

が、そのタガを外した途端

その状況はみなさんご存知の通りである。

世界中で「繋がって」しまう。

個人が対象地域を問わない「発信元」となり

その繋がりは拡大の一途をたどる。

 

「繋がり」が問題である。

 

繋がりの繋がりで安易に友達となった結果

トンデモナイ事態に陥る場面も

多々見受けられる現状である。

 

ここで一つの問題として思い浮かぶのは

液晶画面を見れば確かに

「文字」であるから信じてしまう。

これは私だけかもしれないが

従来の「活字」の信頼性から

来ているのかもしれない。

しかし、考えて見るに

その「活字」の信ぴょう性も

実は疑わしいものである事が

スッポリ抜けていた。

 

実際にお会いしたことのない方が

「友達」として登録されることは多い。

その数を争うことも実際にある。

「友達」の数が多い人は

それだけ信頼が置けるのであろう。

と、勝手に想像してしまう。

 

しかし液晶からはその「友達」の
人格まではわからない。

 

これは事実である。

ここに大きな落とし穴が潜んでいる。

 

人と人が信頼関係を結ぶには

一つのテーマについて、

昔は手紙

今はネットを使った長い期間のやりとり

そのような行為を繰り返し

その関係は醸成される。

 

現状はどうであろう。

液晶から読み込まれた情報を

「鵜呑み」にしてしまう自分がいる。

「信じて」しまうのである。

それがネットの即時性が利点と言えば

それまでであるが

一度問題が生じた時

それは取り返しのつかない状況を生む。

何しろ一度露出したものは

「拡散」の一途を辿り

全て消し去ることは不可能なのだから。

 

今、様々な問題事件が

このSNSを通じて発生しており

その数は増加の一途をたどっている。

現れているのは「氷山の一角」であり

小さな問題を含めるなら

その数は想像を遥かに超えるものであろう。

 

実際に起こったことを見るがいい。

事件が発生するたびに

その個人の住所、家庭、学歴まで

即座に特定されネットに晒されてしまう。

様々な実害を伴って。

 

その特定の方法はほとんどSNSからによる。

Twitter、Facebook、etc etc

アカウントは様々な繋がりを持っている。

一度目の前で実演してもらったのだが

ニックネームしかわからない方の

「繋がり」から本人を特定するまでは

驚く程いとも簡単であった。

 

今一度立ち止まり、

SNSを考え直す時が来ている気がする。

 

この問題を真剣に考える時

一旦問題が発生した場合

自分自身はおろか

家族、関係者にまで類が及ぶ。

安易に「友達」になるべきではない。

 

ここは古典的に

実際お会いした方に限定すべきである。
「公開」も安易にすべきではない。

 

どこでどう恣意的に利用されるのか

わかったものではない。

 

ラインも今大変な隆盛を誇っているが

これも思うに

単に「連絡ツール」として利用すべきである。

 

今まで人類が経験したことのない

ネット世界の問題は

益々形を変え増えていくと考える。

この波は止めることなど不可能であり

可逆もできはしない。

 

ネットを活用することは

将来につながることは理解している。

 

それをうまく取り入れ

豊かなものにする為には

「身を守る術」を身につけなければ

安易に飛び込んで行くべきではない事も

確かなのである。

 

世界には頭の良い方が多い。

きっとSNSに変わる

次の「アッ」と言うものが出現するのは

想像に難くない。

アイキャッチはFacebookさんのHPです。

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