世の中に敷かれたレールなどない。敷くのは自分である。の巻。

主治医の先生から食事を誘われている。

 

相手は金持ちだから

奢ってもらえるのかと言うと

そうでもない様な気がする。

 

どうも日頃の話ぶりから察すると

「友人として」

であるから

割り勘?

下手するとこちらの奢り?

まぁ良からぬ期待はせぬことである。

 

その先生は

有名国立大学の医学部に一発現役であるから

頭は良いのであろう。

少なくとも私よりは数段。

 

しかし医学生の時分

随分悩まれたそうである。

 

「自分の生きる道は医師で良いのか?」

 

それから横道に外れまくり

放蕩三昧。

家からの仕送りも一時ストップ。

と回顧されるのであるから

相当だったと思われる。

 

先の人生なぞ誰にもわからぬのであるから

では何を縁に日々励めば良いのか。

これは老若男女誰しも悩むのであろう。

 

結果として現在があるのであり

それが世間から見て

はたまた自分で思いを致して

「可」なのか「不可」なのか

比較の問題では決してない。

自分の中に抱える永遠の課題である。

 

以上は「前振り」である。

 

本題はここから。

子供が学校に帰って行った。

大きな悩みを抱えて。

 

それは自身が立てた計画通りに

勉学ができなかった事に起因する。

 

途中までは良かったらしい。

しかし、残りの期間は総崩れ。

その原因は不明である。

よって志望校への現役合格に

確証を持てなくなった。

 

残された時間は多くはない。

では、なぜそうなったのか。

 

「自分は何になりたいのか?」

 

との明確な目標がない事がその原因らしい。

 

級友は医学部狙いがほとんどで

当然、その後は医師になるのであろう。

その様な目標が自分にはない。

多分

いやそうであろう。

文系に有りがちな悩みである。

 

法科に特段の興味がある訳ではない。

しかし文系と言えば

社会の仕組みに良く馴染むのはそれである。

 

そこで葛藤が始まる。

そして短い時間にしろ

自分を見失う。

 

元々、何事にも懸命ではなかったと

自分を回顧していた。

 

初めて聞く言葉ばかりであった。

現在の学校にしても

そこを目指して勉強してきた訳ではない。

「なんとなく」

が全てであった。

「別に東京でも良かった。」

そうである。

 

学年が上がっても

特段自身には変化はなかった。

 

部活にしろ

試験の結果にしろ

全ては

「なんとなく」

だったそうだ。

 

それが今回は違った。

はっきり学部を決めなければいけない。

そこで学部は決めたものの

その先が見えなくなった。

 

らしい。

 

誰であっても見えるものではない。

それがわからぬところが

「若さ」

であろう。

 

文学部でも経済学部でも

同じ事である。

 

始めに戻るが

友人たる先生も医学部にいながら

相当悩まれたのである。

 

逆に捉えれば

敷かれたレールがない分

選択肢が豊富なのである。

 

誰しも通り悩む道である。

その分岐点に立った子に向かい

「せいぜい悩みな」

 

とは口が裂けても言えないのであるw

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