熊本地震から一年経ちました。

ちょうど一年前の今頃は

何をどうして良いのかわからず

ただ成り行きに身を任せていました。

 

第一、食べるものがなかったのですから

そうせざるを得なかった。

我が家だけではなく

この地が全部

丸ごとそうだったのですから。

 

これを

「昨日の様に」

と表現するのか

「あの時は」

と回顧するのか。

記憶を辿れば両方あります。

 

当地では、その後始末は

まだまだでありまして

行政の掛け声とは裏腹に

「冗談じゃないよ」

の生活を強いられている方も

沢山いらっしゃる。

 

しかしながら

一時この地を離れました昨夏には

この地震の事は

既に風化しておりまして

知人たちと話していても

温度差に少し驚いたのでありますが

我が身に置き換えますと

他の地方で

起こった天災もそうであります様に

これは致し方ない事。

 

東北の震災さえも

媒体を通じて積極的に

刷り込まないとすぐに風化してしまう。

残念ながらそれが現実なのです。

 

あちらの被害は比するべくもなく

さらに放射能の問題もありますから

能動的に「刷り込みをしないと」

各方面でまずいことになる。

そんな思惑も見えています。

 

実際のところ

津波のショッキングな映像

あれ程テレビで釘付けになった光景も

今見たら

「あ〜これね」

と感じる方もいらっしゃることを

誰も非難はできません。

 

世の中

主体と客体。

客観的実在と主観的実在。

 

ちょうど一年前に

我が身に降りかかった現実で

大昔多少かじった学問を

自身で実証する羽目になるとは

夢にも思っていませんでしたけどね。

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