最高の知は記憶の海から生まれる。蓋し名言なり。

先日どなたかの文章を読んでいて

深く感じ入った次第。

どなただったか失念した。

許されよ。

 

それは

ユダヤの人たちについてのくだりだった。

自分たちの国を

長い間持てなかったユダヤ民族は

口伝、行動、考え方にて、

持ち得る知識を

後世を継ぐ人たちに伝え続けた。

 

人から人の連鎖。

それは家族でもあったろうし

コミュニティでもあったろう。

当然、

私の及ばぬ

強い同胞意識も当然あったろう。

 

長い長い年月

それこそ気の遠くなる様な時間を

伝え続けた。

 

その間に伝えるべき知識は増え続け

まさに記憶の海となる。

 

近代現代において

財界、学会において

傑出した人物には

ユダヤ系の人が多いのは

その血脈が多いに関係していると思う。

 

蓄積された記憶は

時間のふるいにかけられて

精査され

実証され、

また確証が得られたものだけが

後世に伝えられていく。

そして「律」として

行動の範とされる。

 

身近な例を挙げるなら

あの一種暗さのつきまとう

貧しかった明治時代の我が国に

日露戦争の戦費の一部を貸し

感謝されつつ、

しっかり莫大な儲けも取る。

 

流石である。

 

私どもがものを考えるとき

また顕すとき

その「記憶の海」の

なんと浅く狭いことよ。

 

巷を見渡して、

耳障りの良い

言葉の羅列されたジャンク本

また、講座のなんと多いことであるか。

それに酔う

己の浅学を恥ずる。

 

いつもの帰結であるが

若い頃、

「もっと勉強しておけば良かった。」

である。

 

何故なら

今からでも良いのであるが

残念ながら一つの学問をかじるにしても

基礎から積み上げるには

人生の時間がとても足らない。

 

あれ程

恵まれた環境にいたのに、

波打ち際にいたのに、

「海」に飛び込み泳ぎさえせず

波と戯れ

遊び呆けた私は馬鹿である。

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