6年目の3.11を思う。

もう6年も経つのか

まだ6年しか経っていないのか。

 

人により感じ方は様々でしょう。

直接震災津波に襲われた方にとっては

「まだ6年」ではないでしょうか。

 

あれだけの甚大な被害をもたらした

天災なのですから

「時間の経過と共に」

薄くなるどころか

当然ながら昨日の様に思い出されると思います。

何しろ「目の前で」全ては起きたのですから。

人的被害も想像を遥かに超える「未曾有」でした。

 

さらに

原発のある福島ではいまだに別の災害が

物理的に

また

人心を持って

揺さぶり続けています。

 

私は「原発」には論を持ちません。

しかし一旦その歯車が狂った状況を

知ることはできます。

 

そこに我が家、生活圏があるのに

立ち入る事を強制的に禁じられる。

理由は理解できます。

ですが感情としては当事者でなくとも

それがもたらす「理不尽」を共有できます。

いえ、共有しなければならない。

何しろ目に見えないものが相手です。

どの情報を信じ

如何に行動しなければいけないのか

またさせられるのか

何につけても

疑問符だらけの生活と推察します。

 

突然「解除」になり家に戻れる。

一見、収束に向かっている様に見えますが

「解除」になる線引きが

「この道」から右と左で別れている。

そんな馬鹿げた事が実際起きています。

何を根拠にしているのでしょうか。

 

「解除」になり家に帰れるからと言って

手放しで喜べない現実もあります。

帰宅が許されますと

生臭い話ですが

補助がなくなります。

帰ったところで

そこに元の生活が待っている訳ではありませんから

それから先、

どうやって経済活動をしていけば良いのか?

出口が見えませんね。

 

規模とその長さ

被害状況はまるで比較にはなりませんが

昨年の4月

途方にくれた日々を思い出すのです。

 

それが今でも続いている。

誠に頭が下がります。

下げているだけでは話にならない。

実際「死」が隣にあった現実。

そして

人間が作り出した見えざるものに

主体たる人間が数十年に渡り

理不尽を強いられる。

 

なんで?

表現する言葉が浮かばぬ

不勉強を嘆きます。

 

今年の夏もまた

福島に行ってきます。

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