「優柔不断」を生み出す親の過干渉。自立を阻害するその影響について。な〜んて大層なタイトルです事(笑)

足首がチリチリしますが

骨折したのでは仕方がない。

初めての経験、

それも年食ってからですから

「これが骨折なのね。」

感心する事しきりなのであります。

 

実家詣をしなけりゃいけませんが

若かりし頃の母を思い出しますと

彼女、私の世話を焼くのではなくて

自分から子供が離れるのを

恐れて居たのかも知れません。

 

具体的に書きますと

「転ばぬ先の杖」

よろしく

「私が言った通りにしないと危ないよ。」

とばかり

「ああせい、こうせい」

がやたら多かった。

 

「危ない」のは具体的な障害ではなく

母自体である事は

自分じゃ気がついておりません。

 

子供は自分の分身であり

「同じ価値観を持たねばならぬ。」

でしょうか。

 

とにかく口うるさかった。

音楽にしてもしかり。

ロックに私が目覚めた頃、

「あんなのは不良の聞く音楽だ!。」

 

とか

中学の頃もらったラブレターを

ビリビリに破り

「こんなの不良がする事だ!。」

 

くれた子は当然知ってますから

そんな事はありません。

 

とにもかくにも

振り返るに

あれはいけません。

子供が後々萎縮してしまう。

一人でものを決められなくなってしまう。

 

その結果どうなるか。

その子供も親になった時

同じことを子供に繰り返してしまう。

綿々と引き継がれていくのです。

 

が、私はチト様子が違っていました。

「離れたかった。」

 

反動ですね。

東京の高校時代に交わった

友人、先輩、先生たち

その時代背景が幸いしました。

 

幸い大学時代とその後

離れて暮らす事が出来ましたから

余計に距離を置いて

両親を見ることができたのです。

 

帰郷の折

当時付き合っていた

家内の事を話した時に

良くわかったのです。

まだ会った事もない女性について

色々批判を始め

仕舞いには殴られました。

メガネ、思いっきり飛んだのよ。

 

自分の思い通りに子供がならない事が

怒りに変わるのです。

 

母は今でもそうですよ。

「何事でも私が言うことをきく。」

そう思っている節があります。

 

テレビで齢を重ねると

ある時期から「今」が一番幸せと

感じるそうですが

確かにその兆候はあります。

ですから残り少ない人生。

好きなようにやらせようと

思っている今日この頃。

 

ただ

「自分の価値観を子供に押し付ける。」

その兆候は私にもある様で、

 

「おまえ、彼女まだできないのか?」

 

「男子校ですぐそばの下宿。

どうやって見つけるのさ。」

 

「ガシガシ行けよ!。」

 

「ガッコに部活、そんな暇ねぇし。」

 

違う方面に出てきた様子。

 

お後がよろしい様で。

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