母の財布から思い出される我が家の暗黒の歴史。その12

彼の一件は法的な手続きを経て

一応終わりを見ました。

我が家、私、親戚の分は除いて。

 

ところがです。

事もあろうに知人からも父名義で

借金をしていたのです。

それが後年、亡霊の様に姿を現しました。

なんとも「恥知らず」。

 

それも法的手続きをする時に

入れておけば良いものを

「この人は裏切れん。」

と、バカな義侠心を起こし

それも外していました。

もっとも父名義ですから

その「意気」とは裏腹に

法律的にはできませんけどね。

 

その貸した人の娘夫婦が

「元金の半額でチャラにする」

と話を持ちかけてきたらしい。

 

突然降って湧いた話。

その金を

博多のネェちゃんに電話で無心した。

ネェちゃんは

それまで沈黙を守っていましたが

 

「おばちゃん、今まで随分年数が経ったけど

彼は1円もうちには返してないじゃない。

その為にうちがどれだけ苦労したか

わかってないでしょう」

 

「全部などとは言っていない。

気持ちだけでも、

月に一万でも良かったのに。」

 

で、断った。

それに怒り私に先の電話となった次第です。

 

ところでその知人

母は友人と思っていたのでしょう。

私はその人の事を調べました。

どうも裏でその手を商売としてるらしい。

他にも案件が多数ありました。

一見、気の良いおばちゃんに見えますが

利息だけを取り元金はそのままにしておく。

高利貸しですな。無許可の。

ちゃんと話しをしてくれていたら

とっくに始末出来ていたのに

誠に頭の悪い、

つくづく「残念」な人たちです。

 

とりあえず一度実家に行き

めぼしい関係書類をすべて持ち帰りました。

利息を払った時、

残高確認を書いていましたが

うちの顧問弁護士さんに診てもらったところ

時期に応じた上限利息できっちり。

「これは金貸しですな。」

との判断。

それを娘夫婦に譲った。

その娘夫婦も

手元不如意になったのでしょう。

 

急ぎ今までにいくら利息を払ったのか

家内にまとめてもらいました。

紛失している確認書も多数ありましたが

その時は確認できた金額だけでも

軽く二千万を超えていました。

元金はそのままでです。

呆れました。

それをまとめた家内も当然呆れ怒りました。

 

とにかく要望されている金は

どうするつもりなのか

彼に電話をかけ聞きましたが

帰ってきた返事に、唖然。

 

「あんたのお母さんが半分出してくれるから

残りは自分でなんとかする。」

 

言葉がないとはこの事です。

うちの母が半分出すから?

事も無げに言う神経は昔のまま。

虚しかった。

これまでの時間はなんだったのか。

 

私はこの件については一切自分の感情を消し

対応する事にしました。

金を準備し

相手が来る日に私も行きました。

現場を見て終わりを見届けなければ。

 

当日その夫婦は時間通りに現れました。

両親、彼は丁寧に出迎え

座敷に招き入れ挨拶を交わしております。

「この度はご迷惑をかけまして」

とか何とか。

一応私も自分を名乗り同席を了承させます。

ここからは私一人が相手をしました。

 

相手はすぐに金が出てくるものと

思っていたらしいのですが

出てきたのは

今までに確認が取れた利息の一覧。

更に「紙」こそありませんでしたが

時系列に前後の金額から

払ったのが確実な金利の別表。

「ご確認を」

の私の言葉に絶句。

畳み掛けるように

「これに要望の金額を乗せれば

合計こうなります。」

 

ここまで調べ上げているとは

思ってもいなかったでしょう。

しばらく沈黙が続きました。

旦那さんがゴニョゴニョ何か言っています。

聞こえねぇよ。

日本語を喋れ。

 

これは高利貸しの手口である事を匂わせ

「過払い」のスパイスも少々。

そして私が金を目の前に出しますと

そそくさと帰る挨拶を始めます。

「これにご署名ご捺印を」

彼女には兄弟がいる事は

調べ上げておりましたから

後にその争いに巻き込まれない様、

一文も入れてある証書を。

 

慌てて帰る二人を玄関まで丁寧に送り出し

もちろん私は行きませんでしたけどね。

 

座敷に帰って母と彼は

「やっと終わった!」

すかさず

「いいや 終わっちゃいねぇ」

言い放ちました。

そして彼に向かい

 

「博多のネェちゃん家からも

引き出してるだろう」

「全然返してないよね。どうするの?」

 

「いや気にはなっていたのだけど

生活が苦しくて」

 

ほ〜家を私に無断で改築までしてるのに?

母は核心を突かれると

しばらく反応できない性格です。

無言でした。

私が知らないとでも思っていたのでしょう。

 

その晩ネェちゃんに電話しました。

今日の経緯と結果。

そして勝手だったけど

博多の家についても話した事を。

 

「ありがとう」

「じゃ人の道を教えちゃろかね。」

 

ネェちゃんは怒らせるとマジ怖い。

それから彼はネェちゃんの電話に

怯える日々が始まったのです。

 

うちと私の分はと言いますと

現実的に無理は承知。

その代わり

家内が大層腹を立て

「言いたい事言って来ていい?」

実家に一人で出かけました。

 

何を話して来たのかは今も知りません。

父はアルツハイマーをその後発症し

聞くも話すもあったものではありませんが

母は今でも家内を怖がります。

 

明日は恒例の実家詣。

「財布」の塩梅が気になります。

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