V・Eフランクル 「それでも私は人生にイエスと言う」を読んでみた。

本は読むのであるが

小説が多く、読み終わっても

「あ〜面白かった」

で済ます場合がほとんどである。

気に入ると何度か読み返す。

感想は言わない。

評価できるほどの知性は持ち合わせていないのだから。

この手の書物は読むのに時間がかかる。

数日前にAmazonから届いて

やっと昨夜読み終わった。

なぜなら、引用されている言葉や人物が多く

それを確認しながら読み進めなければならないからである。

ネットで調べれば簡単であるが

この手の事柄については

実際の書物、

それに付随する書物を確認しなければ

なぜか安心して読む事が出来ない。

癖でもあるが

「文責」のしっかりしたもので

一定の評価のあるものでなければ、

信用しないのである。

特に顕著なのが辞書。

単語を調べる類である。

今時辞書も電子化されているだろうし

特殊なものもあるとは思う。

しかし多分英訳が多い筈なので

更にややこしい事になる。

持っているものを、

電子化とは言えまた買うのには抵抗がある。

「もったいない」

のである。

この著者とこの本は有名であり

かなり古い。

それに薄い。

が、かなり手こずった。

ただ盲目的に書いてある事を

「うんうん」

と読み進める類のものではない。

そう言う読み方もできなくはない。

が、少なくとも私は断固抗う。

引用されている言葉

それを発した人物。

なぜその場で、その言葉、人物が引用されているのか

考える事なく読み進める事など出来ない。

簡単に優しく「諭して」いる様で

実はそうではない。

彼なりの根拠があり

その根拠をある程度理解していないと

それは彼の意図と違うものに姿を変える。

著者は有名な人であり

その元になった講演も1946年であるから

相当数の人に読まれている事であろう。

しかし本人が意図した思いが果たして

どれほどの人たちに伝わったのか疑問である。

彼が強制収容所から解放されたのが1945年であるから、

一年後にこの講演である。

誰でも人は自分の意思の中に優先順位がある。

彼の優しい語り口とは裏腹に

強烈強固な意志の持ち主である事は間違いない。

そう言えば同じユダヤ系で

ハンナ アーレントさん。

彼女と対比させながら読むのもよろしいかも知れない。

これまた随分時間がかかりそうではあるが。

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