「愛してる」を連発するなよ。現代の「愛」について。

「愛してる」

とは良く巷で聞く言葉ですが

そもそも「愛」とはなんぞや。

大昔は日本語にもありましたが

現在日常語で使われるそれとは随分意味が違っています。

色んな国で

主に「哲学」が発展した国、地域では

使われていましたが

それもまた現在のそれとは丸でかけ離れています。

多分文明開化の頃、

安易に翻訳をしたのかと推察していますが。

だから現代では使うな。

と言っている訳ではありません。

特に私が問題にしたいのは

恋愛初期における男女間での使われ方です。

初期でも中期でも末期でも良いのですが

使われ方の主なものには

「好き」を強調したいが為に使う。

また関係に齟齬が発生した場合に

その言い訳、もしくは根底にあるものを

都合良く一言で表し一発逆転を狙う。

そんな使われている気がしてならないのです。

もっと言えば

何事に於いても安易に使い過ぎる。

その取り方は自由ですが

自論を申し上げれば

そこに「愛」などありません。

一生通しておぼろげながら貫いてきたものが

今際の際に何と表現するのか考えた時

初めてこれまた「おぼろげながら」表現するとすれば。

と考えるのです。

断言しても良いかと思いますが

恋愛初期において「愛してる」などと

言うセリフは使うべきでははないし

おかしくて笑っちゃいます。

清志郎さんには悪いですが

「愛しあってるかい!」

など現実にあり得る訳などないのです。

錯覚ですよ。

自己陶酔。

もしくは自己の欲望を通さんが為です。

これまた受け手も良く言葉の意味を知らないから

「私、愛されてるの」

とかフザケタ事を言う。

そして悲しい別離が来た時に

「あんなに愛し合っていたのに」

じゃ「愛」ってなによ。

もっともっと大きなもので

見返りを求めてはいけません。

自慢じゃありませんが

いや自慢ですね。

私は

「愛してる」

この表現はこの年になるまで

一度たりとも使った事はありません。

使える訳がないじゃないですか。

まだ一つの事も成就していないのに。

そしてまだ生き永らえているのに。

それに鏡を見て

私にこれ程似合わない言葉はありません。

くたばった時に

私の生き様を他人様がどう評価してくれるのか。

それすらもわからないのに。

もっともくたばってれば

評価もヘチマも自分じゃわかりませんけどね。

現在の言葉遊びの「愛」に憤り

一言言上。

お許しあれ。

画像は「ある晴れた日」の桜島。

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